2012年8月27日月曜日

厳しい裁判官が有罪

 


自らの罪に関する言い訳や
正当化をいつでもしたがる者たちが、
他人を裁き非難することにおいて、
しばしば最も厳格になる。
 
今日、サウルのように、
神の不興を自分自身にもたらす人が多い。
 
彼らは勧告を拒み、叱責をさげすむ。
 
主が彼らと共にいないことを確信したときでさえも、
彼らはねたみの原因を・・・
自分自身の内に見るのを拒む。
 
心と生活において、
本当は彼らにまさっている他の人たちを残酷に裁き、
厳しく譴責することにふける一方で、
高慢で誇り高い精神を追い求める者が、
どれ程多いことか。
 
このように、自ら裁判官をかって出た人は、
キリストの言葉を考えるがよい。
 
「あなたがたのさばくそのさばきで、
自分にもさばかれ、
あなたがたの量るそのはかりで、
自分にも量り与えられるであろう」
 
Signs of the Times 1882年 8月 17日
 
 
 
 
 
 
 


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