主イエスは我々の唯一の助け手である。
彼の恵みによって、
我々は愛を培うこと、
親切にまた優しく語るために自分を教育することを学ぶ。
彼の恵みによって、
我々の冷たく粗野な作法が変貌する。
親切という律法が我々の唇に宿るようになるであろう。
すると、
聖霊の尊い感化のもとにある人々は、
泣く者と共に泣き、
喜ぶ者と共に喜ぶことが弱い証拠だとは思わなくなる。
我々は、
すべての人に善意を持つべきこと、
他人の生活における陰でなく
日光であろうとする真摯な望みを持つべきこと、
それがどんな意味を持つのかを学ばねばならない。
兄弟たちよ、
砕けた悔いた心を持とう。
舌を汚す言葉ではなく、
愛と同情の表現が唇から流れ出るようにしよう。
愛が心に作り出せる暖かさを他の人々が感じるようにしよう。
そして、
ずっと存在してきた利己主義や冷淡さや頑固さという悪を、
キリストの弟子と名乗る人たちが正すように教育しよう。
これらの特徴はみな、
キリストが心に宿っておられないという証拠である。
[コロサイ3:12、13を引用]
Review and Herald 1894年 1月 2日
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