2011年5月9日月曜日
無限のお方に触れる
本質において
世俗的な教育がある。
その目標は世で成功することであり、
自己の野心を満足させることである。
この教育を受けるために、
多くの生徒は
不必要な知識で頭をいっぱいに
することに時間と金銭を費やしている。
世は彼らを博学と見なすが、
神は彼らの思いの中にはない。・・・
非常に異なった種類の別な教育がある。
その基本的な原則は
世界で最も偉大な教師によって述べられているように、
「まず、神の国と神の義とを求めなさい」である(マタイ6:33)。
その目標は利己主義ではない。
その目的は神を崇めることである。
・・・神はすべての知識の源である。
彼は限りなく賢く、正義であって、善良なお方である。
キリストから離れては、
今まで生きたどんな賢い人でも、
神を理解することはできない。
彼らは賢いと公言するかもしれない。
彼らはその業績を誇るかもしれない。
しかし、キリストを中心とする偉大な真理から離れては、
単なる知的な知恵はむなしい。・・・
人間が一瞬でも
限りある視界の範囲を超えて見ることができたら、
また永遠であるお方を一目でも見ることができたら、
誇っていた口はすべて閉ざされてしまうであろう。
この小さな世界に生きている人間は有限である。
神はご自身の律法に服従し、
彼に栄光を帰している無数の世界を持っておられる。
人間が限りある能力で
許されるだけ科学的な研究を進めるとき、
彼らが把握することのできない無限が更に広がる。
人間が真に賢くなる前に
自分たちは神に依存していることを悟り、
神の知恵で満たされなければならない。
神は霊的な力のみならず、
知的な力の源でもあられる。
科学の分野において
すばらしい高さに達したと世界が見なしている
最も偉大な人たちでさえも、
愛されたヨハネや使徒パウロと比べることはできない。
知的及び霊的力が結合したときに、
人間は最高の標準に到達するのである。
In Heavenly place 43
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