神は
有形の実在者たる神として
ご自身をみ子の中にあらわされた。
父の栄光の輝きであり、
「神の本質の真の姿」であるイエスは
実在者である救い主として
この世にこられた(へブル1:3)。
彼は
個性をも持たれる救い主として天にのぼり、
個性を持たれる救い主として
執り成しておられる。
神のみ座の前でわたしたちのために
「人の子のような者」として奉仕されている(黙示録1:13)。
世の光であるキリストはその神性の、
目もくらむ光を隠して人間となり、
人間の間に住むためにこられたが、
それは人間が焼き滅ぼされることなく、
創造主に親しめるようになるためであった。
罪が人間と創造主とを離反させて以来、
キリストを通して神がおあらわれになる以外に、
だれも神を見た者がなかった。
「わたしは父とは一つである」とキリストは言われた(ヨハネ10:30)。
また、「子を知る者は父のほかにはなく、
父を知る者は、子と、父をあらわそうとして
子が選んだ者とのほかに、
だれもありません」(マタイ11:27)。
神が人間に知らせたいと思っておられることを
教えるためにキリストはこられた。
高い天に、地に、広い海に
神のみ手のわざをわたしたちは見るのである。
全被造物は神の力と知恵と愛を証明している。
しかし、星や海や瀑布(ばくふ)などからは、
キリストのうちにあらわされているほどの神の性質を
学びとることはできない。
神の個性と品性を描写するには
自然界よりもさらに明りょうに表すものが
必要であることをごらんになり、
神のみ子を世につかわし、
見えざる神の性質や属性を
人間の目にたえられる程度にあらわされたのであった。
ミニストリー・オブ・ヒーリング 393、394
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