2011年5月1日日曜日

罪の自覚


ダビデ王に与えられた
預言者ナタンのたとえ話は、
すべての人が研究すべきである。

ウリヤに対する彼の行為が
どう思われているか
全く知らずにいるときに、
光は王の上に鮮明に当てられた。

彼が放縦と戒めの違反という道を
進んでいる時に、
貧しい人から一頭の小羊を奪った
富める人のたとえ話が提示された。

ところが王は、
罪の衣に完全に包まれていたので、
彼がその罪人であることを悟らなかった。

彼はまんまと引っ掛かり、
大いに憤慨して、
自分では別の人だろうと想像していた者に、
死の宣告を下した。

たとえ話の適用がなされて、
事実が彼の心によみがえり、
ナタンが、
「あなたがその人です。あなたは知らずに、
自分自身に宣告したのです」と言ったとき、
ダビデは途方に暮れた。

自らの行動を弁護するための言葉は
一言も出すことができなかった。

ダビデにとって、
これは最も辛い経験であったが、
最も有益でもあった。

しかし、
彼に自分自身の姿をはっきりと認めさせた鏡を、
ナタンが彼の面前に掲げなければ、
彼は忌まわしい罪を自覚することなく、
破滅に至ったことだろう。

罪の自覚が彼の魂の救いとなった。

彼は、
主が彼をご覧になった角度から自分自身を見た。

そして生きている限り、
自らの罪を悔いたのであった。

                   Letter 57. 1897年

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