知性と判断力、
推論する力を
備えておられる神から
祝福されている我々は、
神に対して
責任のあることを
認めなければならない。
神が我々に対して与えておられる生涯は
聖なる賜物であり、
一瞬も浪費してはならない。
なぜなら、
我々は裁きの記録の中で、
再びそれに会わなければならないからである。
天の書物の中で
我々の生涯は写真家の感光板上の写真のように、
正確に写されている。
我々は我々の行った行為だけでなく、
行わなかったことに対しても責任を持っている。
我々は我々の発達させなかった品性、
利用されなかった機会に対して責任がある。
Review and Herald 1891年 9月 22日
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