2009年12月30日水曜日
2009年12月29日火曜日
孤独を大切に
2009年12月28日月曜日
雑用という用はない
2009年12月27日日曜日
天使たちの絶えざる戦い
2009年12月26日土曜日
2009年12月25日金曜日
2009年12月24日木曜日
人性をとられた神の御子
キリストは人々に、
勝利する力をお与えになった。
彼は人々の間で人として生きるため、
人間の姿でこの世に来られた。
彼は試みられるために、
人性の弱さを負われた。
人間でありながら、
彼は神の性質にあずかる者であった。
その受肉において、
彼は新しい意味で、
神のみ子という称号を獲得された。
天使がマリヤに言った、(ルカ1:35を引用)
人の子であられながら、
彼は新しい意味で神の子となられた。
こうして彼は、
神の子であられたにもかかわらず、
生まれながらに人類と結合して
我々の世界で生きられた。・・・
キリストは永遠の昔から、
天父と結ばれていて、
彼が人性をお取りになったとき、
尚も神と一つであられた。
彼は神と人とを結ぶ環である。
Signs of the Times 1905年 8月 2日
2009年12月23日水曜日
唇に親切の法則を
主は、
自己に勝利し征服するという
大仕事において最も助けが
必要なところで、
我々一人びとりを助けて下さる。
親切という法則が唇にあり、
恵みの油が心にあるようにしよう。
これは素晴らしい結果を生じる。
あなたは優しく、同情的で、礼儀正しくなることだろう。
あなたにはこれらの恵みがみな必要である。
聖霊を受け入れ、品性に持ち込むべきである。
するとそれは聖なる火のようになり、
神に向かって昇っていく香を発散させる。
その香は、非難する唇からは生じず、
人の魂をいやすものとして発せられるものである。
あなたの表情は神のみかたちを表す。
鋭く、批判的な、そっけない、またはきつい言葉を語るべきではない。
これは異火であり、
我々の会議や兄弟との交際から取り除かれねばならない。
神は、
ご自分の奉仕にあたるすべての人々に、
神聖な火の炭火からとって、
香炉に火をともすことをお求めになる。
たやすくあなたの唇から出てくる、品のない、きつい、
荒々しい言葉は差し控え、
神の霊が人を通して語らなければならない。
キリストの品性を眺めることによって、
あなたは彼に似た者へと変えられる。
キリストの恵みだけがあなたの心を変えることができる。
そうすればあなたは主イエスのみかたちを反映するのである。
神は我々が彼のように、
清く、聖で、汚れない者となるように招かれる。
我々は神のみかたちを身につけなくてはならない。
Letter 84. 1899年
2009年12月22日火曜日
時にはルシファーの立場に
2009年12月21日月曜日
実践的な宗教は芳香を放つ
2009年12月20日日曜日
神のために心をどのようにして守るか
彼らは
キリストらしさを家庭に
持ち込むことをしない。
言葉を選ぶに当り、
思慮深い配慮を見せない。
あまりにもしばしば、
不機嫌な、
短気な言葉、
人間の心に悪い感情をかきたてる言葉が語られる。
そのような人は、
魂にキリストを宿らせる必要がある。
キリストの力によってのみ、
彼らは言葉と行為を守ることができる。
心を守る働きにおいて、
我々は、
恵みのみ座に助けを嘆願することに疲れることなく、
祈りを即座にしなければならない。
クリスチャンと名乗っている者は、
助けを求めつつ、
熱心に謙遜に神のところに行くべきである。
救い主は我々に絶えず祈るようにと言われた。
いつも祈りの姿勢をとっていることができないが、
クリスチャンはその思いと希望をいつも上に向けていることができる。
語ることを少なくし、
もっと多く祈るならば、
我々の自己過信は消えるであろう。
Youth's Instructor 1903年 3月 5日
2009年12月19日土曜日
2009年12月18日金曜日
2009年12月17日木曜日
成長する信仰についての理解
2009年12月16日水曜日
罪の毒気を一掃する
聖化、
どれほどの人が聖化の意味を
十分に理解しているだろうか。
心は肉欲というマラリヤ熱で
迷わされている。
思いは清められなければならない。
すべての身体的取り扱いが、
知性や感情の活力と純潔に
関係があるということを知っていたら、
男も女もそのような状態には
ならなかったであろう。
真のクリスチャンは聖潔をもたらす経験をもっている。
彼は良心に罪責のしみがなく、
魂に腐敗も汚れもない者である。
物事を制限する原則を含んでいる神の律法の霊性が、
彼の生活に持ち込まれる。
真理の光は彼の理解力を明敏にする。
救い主に対する完全な愛の輝きが
彼の魂と神の間にある毒気を一掃する。
神の意志が彼の意志となり、
清められ、
高められ、
洗練され、
聖化される。
彼の顔は天の光を表し、
彼の体は聖霊のためにふさわしい宮となる。
聖潔は彼の品性の飾りとなり、
神は彼と交わることができる。
なぜなら、
魂と体が神と調和しているからである。
Letter 139. 1898年
2009年12月15日火曜日
2009年12月14日月曜日
神は原則を心に抱く人々を祝福される
2009年12月13日日曜日
密室の祈りの必要
イエスが地上におられたとき、
祈りの仕方を弟子たちに教えられた。
日々の必要を神の御前に述べ、
すべての思いわずらいを
神に負わせるよう指導された。
それから、
彼らの嘆願は聞かれるとの確証を
お与えになった。
その確証は我々にも与えられている。
秘密の祈りをするための場所を持ちなさい。
イエスは神と交わるための場所をいくつかお選びになっていた。
我々もそうすべきである。
どれ程みすぼらしかろうと、
神と一対一で交われるような場所に、
我々はたびたび退くのである。・・・
神の御目だけが見ることができ、
神の御耳だけが聞くことのできる秘密の祈りの場所において、
無限の憐れみを持たれる御父に心の奥底にある切なる願いを
注ぎだすことができる。
そして魂の静寂の中で、
人間の必要を訴える叫びに答え損なうことのないみ声が、
我々の心に語ってくださるであろう。
・・・日々キリストを親しい友とするとき、
見えない世界の力が我々の周りに存在するのを感じるようになる。
そしてイエスを仰ぐことによって、
我々は彼のみかたちに同化するようになる。
我々は見ることによって変えられていく。
天国にふさわしくなるよう、
品性は和らげられ、
洗練され、
気高くされる。
我々の主との交流の確実な結果は、
敬神と純潔と熱意を増加させることであろう。
祈りにおいて知性の成長がなされるであろう。
我々は天来の教育を受けている。
そして、
これが勤勉と熱意の生活の内に例証されるのである。
日毎の熱心な祈りによって、
助けと支えと力を求めて神に向く魂は、
気高い熱望、
真理と義務についての明瞭な洞察、
崇高な行動の目的、
そして義への絶え間ない飢え渇きを持つであろう。
神とのつながりを保ち、
他の人々との交わりを通して、
我々の心を支配している光と平安と平穏を彼らに向けて
発散させることができるようになる。
思いやりと心づかいの内に心を訓練するという辛抱強い努力と
結び合わさった神への祈りにおいて得られた力は、
日々の義務に人を備えさせ、
あらゆる状況下で精神を平安に保つ。
宗教は心を空っぽにしてきれいにすることで始まり、
日々の祈りによってはぐくまれなければならない。
Amaging Grace 2
2009年12月12日土曜日
2009年12月11日金曜日
2009年12月10日木曜日
2009年12月9日水曜日
2009年12月8日火曜日
2009年12月7日月曜日
色眼鏡をはずして
2009年12月5日土曜日
2009年12月4日金曜日
2009年12月3日木曜日
2009年12月2日水曜日
2009年12月1日火曜日
2009年11月30日月曜日
「なつめやし」のクリスチャン
2009年11月29日日曜日
2009年11月28日土曜日
2009年11月27日金曜日
2009年11月26日木曜日
2009年11月25日水曜日
2009年11月24日火曜日
2009年11月23日月曜日
2009年11月22日日曜日
ふれあいを求めて
2009年11月21日土曜日
2009年11月20日金曜日
2009年11月19日木曜日
みな兄弟
神は人々を責任ある者として造られ、
彼らを神の意思に服従するのに好都合な
環境に置かれた。
神によって与えられた人としての威厳において、
彼らは、
この世のいかなる人知によってでもなく、
神ご自身によって治められ、
支配されるべきである。
神が生き、
統治なさっていることを人は常に認めなければならない。
人は決して神の権利を支配する主人となってはならない。
「あなたがたはみな兄弟なのだから」という言葉を、
彼らは熟考すべきである。
人間は自由意志を持つ道徳的存在として強制されたり、
いかなる行動にも強いられてはならないということを
神は教えておられる。
そして神との協力者として、品性において神を表すべきである。
我々は兄弟や隣人、
周囲のすべての人に関心を抱くべきである。
Letter 65. 1895年
2009年11月18日水曜日
人生の履歴書
2009年11月17日火曜日
怒って我を忘れることのないように
ある種の人々は、
自制心に欠けている。
彼らは気質や舌を制御したことがない。
また彼らのうちのある者は、
キリストに従う者だと言うのだが、
そうではない。
イエスはこのような模範は残されない。
彼らに救い主の柔和と謙遜があれば、
生まれながらの心にかられて行動することはない。
それはサタンの行動だからである。
ある者たちは神経質で、
そそのかされて思いや言葉における自制心を失い始めると、
酒で酔った人のように怒りで我を忘れてしまう。
彼らは不合理で、
なかなか納得させたり説得することができない。
彼らは健全ではない。
その間サタンが完全にコントロールしている。
これらの怒りを表すことはすべて、
神経の系統と道徳力を弱め、
怒りやその他の挑発を制御するのを困難にする。
これらの種類の人々に唯一の療法がある。
それは、
あらゆる状況のもとで積極的に自制すること。
自分がわずらわされない都合のよい立場をとる努力は、
しばらくはうまくいくかもしれないが、
これらのあわれな魂がどこにいるかをサタンはよく知っており、
幾度も幾度も彼らの欠点を攻撃してくるだろう。
彼らは自己のことを考えている限り、
絶えず悩まされる。
彼らは人間にとって最高に重い重荷を運んでいるのであり、
その重荷とは、
清められておらず、
また和らげられていない自己である。
しかし彼らには希望がある。
争いと心配でひどい荒れ模様の生活を、
キリストに結びつけよう。
そうすれば、
自己はもはや優位を求める主張をしなくなるであろう。
Youth's Instructor 1886年 11月 10日
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