2009年12月13日日曜日

密室の祈りの必要




イエスが地上におられたとき、
祈りの仕方を弟子たちに教えられた。

日々の必要を神の御前に述べ、
すべての思いわずらいを
神に負わせるよう指導された。

それから、
彼らの嘆願は聞かれるとの確証を
お与えになった。

その確証は我々にも与えられている。

秘密の祈りをするための場所を持ちなさい。

イエスは神と交わるための場所をいくつかお選びになっていた。

我々もそうすべきである。

どれ程みすぼらしかろうと、
神と一対一で交われるような場所に、
我々はたびたび退くのである。・・・

神の御目だけが見ることができ、
神の御耳だけが聞くことのできる秘密の祈りの場所において、
無限の憐れみを持たれる御父に心の奥底にある切なる願いを
注ぎだすことができる。

そして魂の静寂の中で、
人間の必要を訴える叫びに答え損なうことのないみ声が、
我々の心に語ってくださるであろう。

・・・日々キリストを親しい友とするとき、
見えない世界の力が我々の周りに存在するのを感じるようになる。

そしてイエスを仰ぐことによって、
我々は彼のみかたちに同化するようになる。

我々は見ることによって変えられていく。

天国にふさわしくなるよう、
品性は和らげられ、
洗練され、
気高くされる。

我々の主との交流の確実な結果は、
敬神と純潔と熱意を増加させることであろう。

祈りにおいて知性の成長がなされるであろう。

我々は天来の教育を受けている。

そして、
これが勤勉と熱意の生活の内に例証されるのである。

日毎の熱心な祈りによって、
助けと支えと力を求めて神に向く魂は、
気高い熱望、
真理と義務についての明瞭な洞察、
崇高な行動の目的、
そして義への絶え間ない飢え渇きを持つであろう。

神とのつながりを保ち、
他の人々との交わりを通して、
我々の心を支配している光と平安と平穏を彼らに向けて
発散させることができるようになる。

思いやりと心づかいの内に心を訓練するという辛抱強い努力と
結び合わさった神への祈りにおいて得られた力は、
日々の義務に人を備えさせ、
あらゆる状況下で精神を平安に保つ。

宗教は心を空っぽにしてきれいにすることで始まり、
日々の祈りによってはぐくまれなければならない。

                            Amaging Grace 2

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