2012年10月31日水曜日
2012年10月30日火曜日
真に「私の財産」と呼ぶことができる時間は
真に「私の財産」と
呼ぶことができる時間は、
自分の魂を豊かにするものであり、
永遠の世界につながるものを
指すものではないかと思うのです。
なぜなら、
「一生の終わりに残るものは、
我々が集めたものではなくて、
我々が与えたものである」
からなのです。
*目に見えないけれど大切なもの
2012年10月29日月曜日
貴重な宝石のように守られる聖徒たち
[イザヤ26:19を引用]
生命の賦与者は
第一の復活において、
ご自分が買い取られ
ご自分の所有となった
人々を
呼び出される。
終わりのラッパが鳴り響き、
膨大な数の軍隊が
永遠の勝利に向けて出てくる凱旋の時まで、
すべて眠っている聖徒たちは安全に保たれ、
神に名前を知られている貴重な宝石として
守られるであろう。
生きているとき
彼らの中に宿っていた救い主の力によって
神性を分け与えられていた故に、
彼らは死から連れ出されるのである。
Letter 65a. 1894年
2012年10月28日日曜日
人間は
人間は、
愛を呼吸し、
愛を食べ物として生きている。
その心は愛を求め、
愛によってのみ充たされるのであるが、
五感で確かめ得る愛は、
ごく限られたものでしかない。
そうだとしたら「信じる愛」に生きることこそ、
人間が幸せに生きる一つの秘訣ではあるまいか。
*愛をつかむ
2012年10月27日土曜日
2012年10月25日木曜日
真理は勝利する
キリスト教徒を
名乗るすべての人に
なすべき働きがある。
今日、
天からの声が厳粛に
あなたを呼んでいる。
この声に耳を傾け、
いかなる場所においても、
能力に応じてただちに
仕事にかかりなさい。
あなたはなぜここに一日中何もしないで立っているのか。
あなたにはためすべき働き、
あなたの最善のエネルギーを要する働きがある。
人生のすべての尊い瞬間は、
あなたが神か同胞に負うところの何らかの義務に
関係しているのである。
・・・
現在我々は血肉に対して戦っているのではなく、
もろもろの支配と権威、
また天上にいる悪の霊に対しても戦っているのである。
主は我々に、
あらゆる力の源、
我々を助けることのできるお方として
ご自分を見る勇気を与えようとしておられる。
・・・
イスラエルの神が
我々のために働きを請け負われるとき、
彼がそれを成功させてくださる。
真理は勝利する。
Sons and Daughters of God 278
2012年10月24日水曜日
我々を傷つける者のために祈れ
キリストが光の中に
おられるように、
光の中を歩こうと
努めようではないか。
神がヨブの束縛を
解かれたのは、
ヨブが、
彼自身のためばかりでなく、
敵対した者たちのために
祈ったときであった。
祈ろう。
我々自身のためだけでなく、
我々を傷つけ、
傷つけ続けている者のために。
祈りなさい、祈りなさい。
特に心の中で神に絶えず祈りなさい。
神はご自身の前に謙虚な者の
心からの熱心な祈りに耳を傾けてくださる。
Letter 88. 1906年
2012年10月23日火曜日
荒廃させる雹か、それとも愛の種か
ある人々は、
日毎の神との交わりから
キリストの柔和をまとって
出てくるように見える。
彼らの言葉は、
その前にあるものをことごとく
打ち壊す荒々しい雹の
ようなものではない。
その唇からは優しい言葉が出てくる。
彼らは、
彼らの歩く道沿いのすべてに
愛と親切の種をまき散らすが、
心のうちにはキリストが生きておられるので、
そのすべてを無意識のうちにしている。
彼らの影響は、
見えるというよりも感じられる。
Manuscript 24. 1887年
2012年10月22日月曜日
神は富を託される
神は、
また人びとに
財産をおゆだねになる。
神は、
富を得る力を
人びとによってお与えになる。
神は天からの露と
降り注ぐ雨によって
地をうるおされる。
また太陽を照らして、
植物をはえさせ、繁茂させ、
実を結ばせておられる。
そして、
神は、神のものを神に返すように人びとにお求めになる。
金銭は私たちが、
自分に栄えを帰するために与えられたものではない。
私たちは、忠実な管理者として、
神に栄光を帰するために、
金銭を用いなければならない。
自分たちの財産の一部分だけが、
神のものであると、思っている人がある。
宗教的、慈善的目的のために一部分をささげれば、
あとは、自分のもので自由に使用しても良いと、
彼らは考える。
しかし、これはまちがいである。
わたしたちの所有するものはみな神のものであって、
その用途について、責任を負わなければならない。
一銭の金を使うにも、神を第一に愛し、
自分のように隣人を愛しているかどうかがあらわれるものである。
キリストの実物教訓 327p
2012年10月21日日曜日
2012年10月20日土曜日
2012年10月18日木曜日
祈ったから立ちどころに
祈ったから立ちどころに
心の傷が癒え、
心に平安が
戻るわけではありません。
しかしながら、
祈ることで、
「痛みを抱えながら生きる」のが、
私たちにとって、
当然のことであることを悟り、
かくて、
私たちの人生には、
同じく痛みを抱えて生きている人への
優しさも育つのです。
*目に見えないけれど大切なもの
2012年10月17日水曜日
いつでも、どこでも祈る
ひとりでいるときも、
歩いているときも、
そして日々の仕事に
忙殺されているときにも、
私たちのことばに
耳を傾けたもう主と
話す習慣をつけたい
ものです。
どのような時も、
どこにいる時も
たえず天来の助け、
光、力、知識を求めて
心を天に向け、
声なき祈りを
神にささげようではありませんか。
私たちのすべての呼吸が
神への祈りとなりますように。
(『節制』 135p)
祈り 285p
目を休ませるリラックス法
体で最も疲れている「目」を
徹底的に休ませるヨガの
基本理念を使った方法ですって!
(((o(*゚▽゚*)o)))
1.手のひらを
30秒~1分間こすり合わせて
摩擦による熱を起こす。
2.デスクに肘を付き、
肩、腕、首は完全にリラックスさせる。
3.それぞれの手のひらを、
水をすくう時のように隙間なく丸め、
鼻と平行になるようにして目を覆う。
目は開いたまま、目には手を触れないようにして
光を完全に遮断する。
手のひらの温かさが、目の周りと内側の筋肉の
緊張をゆるめてくれるのを感じるのがポイント。
4.ここからはヨガの呼吸と共に。
手のひらを内側から見つめるようにして、
お腹をゆっくりとふくらませながら鼻から息を吸い、
ややとめてから再びゆっくりと口から息を吐く。
これを2分~4分。
「3」で目を覆ったとき、様々な色や白い斑点、
光の残像が見え、これが消えてゆき、やがて体から
力が抜けてリラックスした状態になります。
これだけで、消耗した目の疲れを癒すことができ、
ヨガ独特の集中力、リラックス、良い呼吸が得られます。
元ネタ
2012年10月16日火曜日
親の祈り
神様
もっとよい私にしてください。
子どものいうことを
よく聞いてやり、
心の疑問に親切に答え、
子どもをよく理解する
私にしてください。
理由なく子どもの心を
傷つけることのないように
お助けください。
子どもの失敗を笑ったりせず、
子どもの小さい間違いには目を閉じて、
良いところを見させてください。
良いところを心からほめてやり、
伸ばしてやることができますように。
大人の判断や習慣で子どもを
しばることのないように。
子どもが判断し、
自分で正しく行動していけるよう
導く知恵をお与えください。
感情的に叱るのではなく
正しく注意してやれますように。
道理にかなった希望はできるだけかなえてやり、
彼らのためにならないことは
やめさせることができますように。
どうぞ意地悪な気持ちを取り去ってください。
不平を言わないように助けてください。
こちらも間違った時にはきちんと
あやまる勇気を与えてください。
いつも穏やかな広い心をお与えください。
子どもと一緒に成長させてください。
子どもが心から私を尊敬し慕うことができるよう
子どもの愛と信頼にふさわしい者としてください。
子どもも私も神さまによって生かされ
愛されていることを知り
他の人々の祝福となることができますように。
(作者不明)
2012年10月15日月曜日
自己を捨てきれない祈り
利己的な野心や願望で満杯になった心で
祈りをささげてはなりません。
神は私たちに神のみ栄となるような賜物を、
またこの世ではなく
天を選ぶようにと勧めています。
神は私たちの高い目標に対しては
力強い励ましを、
最も厳選した宝物には
安全の保証を与えてくださいます。
たとえこの世での宝が失せても、
神を信ずる者にとっては
どのような災害が起ころうとも、
決して失われることのない
天の富や財産こそが喜びなのです。
(『神の息子娘たち』188p)
祈り 412p
2012年10月14日日曜日
イエスの祈りは霊性の秘訣を示している
この地上における救い主イエスの生活は、
自然との交わり、
そして神との交わりの日々でした。
この交わりの中にイエスは、
私たちが学ぶべき、
力にあふれた生活の秘訣を示しています。
(『健康についての勧告』162p)
祈り 275p
2012年10月13日土曜日
2012年10月12日金曜日
2012年10月11日木曜日
11月4日(日)「耳かきの会」
今回は 「私の欝体験」
河原 久牧師が、体験の中から話してくださいます。
『倒れている人の起こし方』
どなたでも参加いただけますので、
どうぞお誘い合わせの上、ご出席くださいますよう
ご案内いたします。
2012年10月10日水曜日
今の私というものは
今の私というものは、
考えてみると
不思議なほど、
今を先だついろんな瞬間の
積み重ねなのです。
そしてまた、
今をどう生きるかということが、
次の瞬間の土台を
つくっている。
だから、
今という瞬間を
たいせつに生きることが、
それこそたいせつになって
くるんだろうと思います。
*人間としてどう生きるか
2012年10月9日火曜日
日々何を祈るのか
どんな仕事でも、
すべて神のみ働きの一部であるから、
たとえ、
いかに卑しいことであろうと、
神聖なものとみなければならない。
そして、
わたしたちの日常の祈りは、
「主よ、最善が尽くせるように助けてください。
もっとよりよく仕事ができる方法を教えてください。
力と快活な精神を与え、
わたしの働きの中に救い主の愛の奉仕が
実行できるようにしてください」
というのでなければならない。
ミニストリー・オブ・ヒーリング2005 482p
2012年10月8日月曜日
個人的選択
目をさまして祈りなさい。
そして神に関する事がらにおいて個人的な経験を得なさい。
あなたがたの両親はあなたがたを教育し、
あなたがたの足を安全な道に導くために努力することができるが、
あなたがたの心を変えることはできない。
あなたがたはイエスに自分の心をささげ、
イエスがあなたがたにお与えになった真理の光の中をあゆまねばならない。
家庭生活でのあなたがたの務めを忠実に果たしなさい。
そうすれば神の恵みによって、
キリストが彼にあって成長する子供になってほしいと望んでおられる
全き人に成長することができる。
あなたがたの両親が安息日を守り、
真理に従っていても、
それはあなたがたの救いを保証しない。
なぜなら、
そこにノアやヨブやダニエルがいても
「彼らはその義によって、
ただ自分の命を救いうるのみであると、
主なる神はいわれる」からである。
アドベンチスト・ホーム332p
2012年10月7日日曜日
日々の祈りは欠かせない霊の糧
神に
受け入れられる品性を
養いたいと思うなら、
信仰生活に
正しい習慣が形成
されなければなりません。
肉体の健康のために
この世の食物が
必要であるように、
日々の祈りは、
恩恵の中に成長するためにも、
また霊的生命そのもののためにも必要です。
頻繁に祈って、
自分の思いを神にまで高める習慣を
つけなければなりません。
もし心がさまよっていたら、
それを呼び戻さなければなりません。
忍耐強く努力することによって習慣がつけば、
それはついに容易になります。
一瞬でもキリストから離れたら安全ではありません。
キリストが自らお定めになった条件を
私たちが守るとき、
キリストは私たちの歩の一歩一歩に
共にいてくださいます。
(『青年への使命』108p)
祈り 250p
2012年10月6日土曜日
2012年10月5日金曜日
2012年10月4日木曜日
砂漠の中で
砂漠の中で泉の水に人々が感じる感動を、
私たちは失いがちです。
しかしながら、
人間の幸福というものは、
物があるかどうか、
その物が高価な物かどうかというよりも、
むしろ私たちのまなざしが、
〝当たり前を輝いたものと見るかどうか〟
にかかっているのです。
*心に愛がなければ
2012年10月3日水曜日
忙しさに比例して祈りも熱心になった
エノクは、
活動的な生活を送りながらも、
変わることなく神との交わりを保った。
仕事がふえ、
忙しさが増すにつれて、
彼の祈りは、
ますます絶え間なく、
熱心になっていった。
彼は一定の期間、
すべての交際を絶つという生活を続けた。
彼は、
しばらく人々の間にいて、
教えと模範によって
彼らのために働いたあと、
ただ神だけが与えることのできる
天来の知識を
飢えかわくように求めて、
人を避けて孤独の時を過ごすのであった。
(『人類のあけぼの』 上巻83p
祈り 200p
2012年10月2日火曜日
神は改心の機会を与えてくださる
神は、
改心の機会を与えてくださる。
それは多くの場合、
自分の罪深さに目が開かれた時である。
しかし、
改心するのは、
他でもない自分自身であり、
新しい方向への日々の歩みなしには
あり得ないのだ。
*愛をこめて生きる
2012年10月1日月曜日
霊的成長は祈り次第
神と共にある
霊的人生を
より一層
成長させたいと
望むならば、
今まで以上に
祈りの時を持つ
必要があります。
真理のメッセージが
最初に宣教された時に
祈りが必要であったと
するならば、
今はなおのこと
祈る必要があります。
あの当時、
納屋から、果樹園から、そして畑から、
どれだけ多くのとりなしの祈りの声が
しばしば天に上っていったことでしょう。
熱心に祈り続けて数時間に及ぶこともありました。
神の約束の履行を求めて祈り、
時に涙も見えました。
嘆願はやがて讃美の声に変わっていきました。
私たちが初めて神を信じた時に比べると、
主の日はより近くなっています。
今こそあの時の何倍も熱心に、
そして真剣に祈らなければなりません。
危機はかつてない程に増大しているのです。
(『教会への証』 第五巻161、162p)
祈り 197p
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