2011年6月22日水曜日
祈って信じなさい
一度だけ求めよ、
そうすれば、与えられるで
あろうと、
神は
言っておられない。
神は、
求めよと
命じておられる。
根気よく祈り続けなさい。
求め続けることは、
祈るその人を
もっと熱心にし、
求めているものに対する
願いをさらに増大する。
キリストは、ラザロの墓で、
マルタに次のように言われた。
「もし信じるなら神の栄光を見るであろう」と
(ヨハネ11:40)。
しかし、
生きた信仰を持たない者が多い。
彼らがなぜ、
もっと神の力を見ることができないかは、
それに起因している。
彼らが弱いのは、
不信仰の結果である。
彼らは、
神が彼らのために働いてくださることよりも、
自分自身の働きのほうを信じている。
彼らはなんでも自分で処理しようとする。
いろいろ考えてはみるが、
ほとんど祈ることをせず、
神に対する真の信頼に欠けている。
自分では信仰があるように思っているが、
それは、
一時の衝動にすぎない。
彼らは、
自分たちの必要、
あるいは、
神が喜んで与えようとしておられることを認めないために、
主のみ前に彼らの願いを述べつつ、
耐え忍ぶことをしないのである。
わたしたちの祈りは、
夜中にパンを求めた友人のように、
熱心に忍耐強く求め続けなければならない。
熱心に不屈の精神をもって祈りれば祈るほど、
キリストとわたしたちの霊的結合は親密になる。
信仰が増すにつれて、
受ける恵みも増すのである。
わたしたちのすべき分は、
祈って、
信じることである。
目を覚まして祈っていなさい。
目を覚まして、
祈りをお聞きになる神と協力しなさい。
「わたしたちは神の同労者である」ことを覚えていなさい
(Ⅰコリント3:9)。
あなたの祈りに調和して語り、
行動しなさい。
試練が来た時に、
あなたの信仰が真実のものであるかを証明するか、
それとも、
祈りが単なる形式であるかがわかるのでは、
格段の違いである。
(『キリストの実物教訓』124p)
祈り 160、161p
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