2008年12月29日月曜日
ますます豊かに
「神とわたしたちの主イエスを知ることによって、
恵みと平和が、あなたがたにますます豊かに
与えられるように」(第2ペテロ1:2)。
キリスト者が神様によって豊かにされてゆく過程を
ペテロは同書簡の1:5~7に次のように
書いています。
「だから、あなたがたは、力を尽くして信仰には徳を、
徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、
忍耐には信心を、信心には兄弟愛を、
兄弟愛には愛を加えなさい」(第2ペテロ1:5~7)。
この聖句を私なりに考えてみました。
「信仰には徳を」 ここで用いられている「徳」とは、
卓越した業、優秀な業、成熟した業、もしくは卓越した人物、
優秀な人物、成熟した人物を意味します。
キリスト者はイエス様の十字架によって贖われ、
罪が赦され、神様の家族の一員とされました。
しかしそれだけは子どものキリスト者です。
子どものキリスト者は、自分の救いに夢中です。
救いを求め、それを喜ぶことはできますが、
自分のことで精一杯です。
自分に死んで、相手を生かすためには未熟です。
そこでペテロは、大人のキリスト者へと成長しなさい、勧めます。
社会人として家庭人として、教会員として、自分のことばかりではなく、
相手の立場を思いやることのできる、成熟さを身につけなさい、
と説くのです。
「徳には知識を」
確かに私たちは成熟した「徳」を身につけなければなりません。
しかしそれだけでは、世の中の善良さに終始してしまいます。
キリスト者は「ただの良い人」ではありません。
キリスト者は神様から与えられた「徳」について、
根拠となる「知識」を持つ必要があります。
「徳」を実現してくださるイエス様をご紹介できなければなりません。
神様の「徳」が完全に現れる、
ご再臨の「知識」に精通している必要があります。
「知識には自制を」「知識」はその目的にそって用いられ、
蓄えられてゆく必要があります。
「知識」は神様のご栄光を正しくあらわすため、
人を生かすために用いられるべきです。
ところが、「知識」が自分を高めるために用いられることがあります。
人を批判するために用いられ、争いの原因になることがあります。
「知識」を正しい目的のために蓄え、用いるためには、「自制」が必要です。
「自制には忍耐を」 この「自制」を継続するためには「忍耐」が必要です。
人間は誰でも「あきっぽい」性格を持っています。
うまくいかなかったり、苦労があっても怪しんではなりません。
習慣化するための努力と工夫が必要です。
「忍耐に信心を」
これらのお勧めを自分の頑張りで実現しようとしてはなりません。
イエス様に実現させていただく必要があります。
神様の願いと実現のために心を開きましょう。
「あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、
行わせておられるのは神であるからです」(フィリピ2:13 )とある通りです。
「信心には兄弟愛を」「豊かさ」の目的は、奉仕です。
他者の幸福に貢献するために「豊かさ」が与えられます。
奉仕の対象は、家庭や教会の「兄弟姉妹」から始まります。
「兄弟愛には愛を」
「兄弟姉妹」へ向けられた愛情は、そこで養われ、
外の社会に向けられてゆきます。
普遍的な愛情はその質が高められ、深められてゆきます。
「らせん階段」 さらにペテロは上記のお勧めを、
「何度も思い出しなさい」と言っています。(第2ペテロ1:12参照)。
おそらく、上記の「信心」から「愛」に至る工程を「らせん階段」のように
何度も思い返しながら、「恵みと平和が、
あなたがたにますます豊かに与えられる」のだと思います。
(by 藤田 昌孝)
2008年12月26日金曜日
2008年12月25日木曜日
2008年12月24日水曜日
聖なる都へのパスポート
2008年12月23日火曜日
神のテストは異なる
2008年12月22日月曜日
キリストの奴隷
旧約聖書の創世記47章、
ヤコブの息子のヨセフがエジプトの指導者となっていたときのことです。
カナン地方も含めたエジプト一帯に激しい飢饉が襲います。
エジプトの地もカナンの地も飢饉のために衰え果てていました。
そこで、ヨセフは銀を引き換えにして、人々に穀物を提供しました。
貯蔵していた穀物をもって国家の秩序を保ちます。
ところが、やがて銀も尽き果、人々はヨセフに訴えます。
「私たちに食物を下さい。
銀が尽きたからといって、どうして死んでよいでしょう」。
そこでヨセフは彼らの家畜を引き替えにして食物を与え、
その年を切り抜けさせました。
次の年、人々はまたヨセフに言います。
「私たちは、私たちのからだと農地のほかに何も残っていません。
食物と引き替えに私たちと農地とを買い取ってください。
どうか種を下さい。そうすれば私たちは生き続け、土地も荒れないでしょう」。
ヨセフは農地を買い取り、言います。
「さあ、この種を地に蒔きなさい。
収穫の時、その5分の1はパロに納め、5分の4は畑の種のため、
あなたがたの食糧のため、家族のため、
また幼い子どもたちの食糧としなさい。」
税率は20%でした。現在の所得税と住民税よりも低いかもしれません。
ヨセフという良い指導者の下、公共福利が実現したのです。
民は言います。「あなたさまは命の恩人です。
御主君の御好意によって、私たちを奴隷にしてください」。
人々は自らを喜んでヨセフに捧げます。
私たちも、どうすることもできない困難に出会うことがあります。
そのときに神様に助けを求め、
神様のお力によって切り抜けさせていただくことがあります。
その中で、今まで明け渡すことができなかった、自分自身を、
神様に明け渡すことができるようになります。
パウロは言います。「主によって召された奴隷は、
主によって自由の身にされた者だからです。
同様に、主によって召された自由な身分の者は、
キリストの奴隷なのです」(第一コリント7:22 )。
ここで、パウロが言おうとしていることは、
キリスト者はキリストに買い取られたものだから、
この世の身分は何であれ、すべての人間から自由になることを意味します。
それは、自分勝手に振舞うことではありません。
それは、どんな仕事も、もはや人のためにするのではなく、
キリストのためにする、という意味です。
ジョージ・ハーバートという方が次のような詩を残しています。
なんじにあずかれば 世にいやしきものなし、
「汝がために」なせば すべてはきよく輝かん。なんじを思うしもべには
骨折り仕事も神のもの、汝が律法(のり)のため箒(ほうき)をもてば
家もわざもきよめられん。
こはすべてを金(きん)に変うる 世にも名高き石になるぞ、
神の指もて触るるものは かくも尊きものなるぞ。
私も喜びのうちに、良き指導者イエス様の奴隷とさせていただき、
以下の『毎朝の祈り』(ホワイト夫人著)を毎朝ささげたいと思います。
「毎朝、神におのれをささげ、
これを最初の務として、次のように祈りましょう。
『主よ、しもべを全くあなたのものとしてお受け入れください。
私のすべての計画をあなたのみ前におきます。
どうか、しもべをきょうもご用のためにお用いください。
どうか、私と共にいましたもうて、
すべてのことをあなたにあってなさせてください』と。
これは毎日のことです。
毎朝、その日一日、神に献身して、すべての計画をかれにお任せし、
摂理のままに実行するなり、中止するなりするのです。
こうして、日ごとに生涯を神のみ手にゆだねるとき、
次第にあなたの生涯がキリストの生涯に似てくるのであります」
(『キリストへの道』88)。
(by 藤田 昌孝)
2008年12月19日金曜日
2008年12月18日木曜日
2008年12月17日水曜日
深く心の中を探り調べる
2008年12月16日火曜日
働きの成功は人間の数や才能によらない
われわれは、
たえず与えるときに、たえず受ける。
そして多く与えれば与えるほど
ますます多く受ける。
こうしてわれわれは、
たえず信じ、頼り、受け、与えることができるのである。
キリストのみ国を建設する働きは、
どう見ても進展が遅く、
不可能なことがらが前進を妨げているようにみえるけれども、
それでもそれは前進するのである。
この働きは神からのものであり、
神が資金を用意し、
また真実で真面目な弟子たちを助手としてつかわされるが、
彼らの手にも飢えた大衆に与える食物が満たされるのである。・・・
個人の責任を負い、
個人の義務をとりあげ、
キリストを知らない人々のために個人的な努力を払わねばならない。
あなたの責任をあなたよりももっと豊かな才能をそなえていると
思われるほかの人におしつけないで、
あなたの才能にしたがって働きなさい。
「どこからパンを買ってきて、この人々に食べさせようか」
との質問があなたの心に浮かぶとき、
あなたの答えに不信が反映してはならない(ヨハネ6:5)。
「あなたがたの手で食物をやりなさい」との
救い主のご命令を弟子たちがきいた時、
彼らの心にはあらゆる困難が浮かんだ(マルコ6:37)。
食物を買いに村まで出かけるのですかと、彼らは質問した。・・・
われわれの持っている資金はみわざのために
十分とは思えないかも知れない。
しかし神の満ち足りた力を信じて、
信仰をもって前進するとき、
われわれの前には豊かな資源が開かれる。
この働きが神からのものならば、
その完成のためには、
神が自ら資金を備えてくださる。
正直に単純に神によりたのむ者に、
神は報いてくださる。・・・
主はこう言われる。
「与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。」
各時代の希望 中 113、114
2008年12月15日月曜日
自由人
2008年12月13日土曜日
慰め主
聖霊の必要性を
重要に考えていないところには必ず、
霊的なかわき、霊的な暗黒、
霊的な堕落と死がある。
小さな事に気を奪われているときにはいつでも、
教会の成長と繁栄に必要な、
しかもその後にさまざまの祝福をもたらす神の力が、
たとえ限りなく豊富に提供されていても、
なお欠けているのである。
・・・・・・・・
神のために献身した働き人がどんな場所にいようと、
み霊は共に住んでくださる。
弟子たちに語られたことばは、
同時にわれわれにも語られている。
助け主は彼らのものであるばかりでなく、
われわれのものである。
どんな緊急の際でも、
この世の憎しみのまっただ中にあっても、
み霊は、もがき、格闘している魂をささえる力をさずけられる。
また彼らの失敗や誤りに気づかせてくださる。
悲しみや苦しみの中で、
見通しは暗く、
未来は難問題ばかりのように見えるとき、
また、どうしようもない孤独感におそわれているとき、
こうした時こそ、
聖霊は信仰の祈りに答えて、
心を慰めてくださるのである。
患難から栄光へ 上 46,47
2008年12月12日金曜日
2008年12月11日木曜日
神は服従する者を・・
2008年12月10日水曜日
「Yahoo!百科事典」が開設
ヤフーは11月27日、
小学館の百科事典
「日本大百科全書(ニッポニカ)を収録した
オンライン百科事典サービス
「Yahoo!百科事典」を開設しました。
日本大百科全書の全26巻に収録されている、
見出し約13万項目、
キーワード約50万語を無料で検索、閲覧できます。
http://100.yahoo.co.jp/
これまでに百科事典の内容を期間限定で
無料閲覧できるサービスはありましたが、
完全無料なのは初めてですね。
「Yahoo!検索」「Yahoo!知恵袋」にはリンクで移動できます。
今回のサービスによるヤフーの収益モデルは主に広告。
小学館はヤフーからのコンテンツ利用料が収益となるんだそうです。
2008年12月9日火曜日
高いところに眼をつける
こういう話を読んだことがある」
と、新渡戸稲造が書いていました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ある旗本が同僚と歓談していたところへ、
出入りの商人が訪ねてきた。
よもやまの雑談を交えたのち、
商人は帰ってしまった。
そのときかたわらにいた旗本が主人に向かい、
「見れば今の客はたかだか一商人にすぎない。
それなのに貴殿は、あの男を同僚以上にも
尊敬していたようにも見受ける。
どうも合点がいかない」と言った。
すると主人は、
「君には見えなかったか、彼の気概に富んだ眼光、彼の気概ある言葉が。
彼の気概は我々の遠く及ばないところである。
彼は商人、我々は武士、ゆえに拙者は席次や言葉には階級をつけ、
目下に扱っているが、拙者の心では、すでに彼を我々以上の者と
尊敬せざるを得ない。
拙者が彼に一歩を譲っていることに気づいたのは感心であるが、
彼の人格に注意が届かなかったとすれば、
失敬ながら貴殿はなお眼識が低いと言わねばならない」
と言ったということである。
社会的地位は違っていても、
人格はそのために左右されない。
人格のある者に対しては、
それ相応の敬意を表すべきである。
・・自分以上と思った人に接すると、
それだけ自分も値打ちを上げるのである。
高いところに眼をつければ、
心はすでに高いところに行ったのである。
一度でも二度でも高所に行ったならば、
それが普通の状態となり、修養が進むのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私たちは、すでにイエス様に出会っていますね!
2008年12月8日月曜日
我々が選ばれる条件
[ヘブル7:25を引用]
キリストは、
信仰をもって彼のみもとに来るすべての人を、
完全に救うことがおできになる。
もし彼らがキリストに委ねるならば、
彼らをすべての汚れから清められる。
しかし、もし彼らが罪に執着するならば、
救われることは不可能となる。
キリストの義が、
悔い改めていない罪を覆うことはないからである。
自らの救い主としてキリストを受け入れ、
すべての罪を取り除くお方として彼を受け入れる人々は、
罪の赦しを受けるであろうと、神は宣言なさった。
これらの事が、選びの条件である。
人の救いは、
信仰によってキリストを受け入れることにかかっている。
彼を受け入れない人々は、
滅び行く世界の救いのために、
御父とみ子によって用意された唯一の手段を
利用することを拒んだ故に、永遠の命を失うのである。
Manuscript 142. 1899年
2008年12月7日日曜日
私が彼らの罪を負います
2008年12月5日金曜日
湖上の一夜~
2008年12月4日木曜日
欲に目がくらんだバラム
バラムは「不義の実を愛し」た
(Ⅱペテロ2:15)。
神が、偶像であると言明された
むさぼりの罪によって、
彼は日和見主義者となってしまった。
この1つの過失によって、サタンは、
彼を完全に支配するようになった。
彼を破滅に陥れたのは、このむさぼりであった。
誘惑者は、
人々を神に仕えさせないようにしようとして、
常にこの世の利得と名誉を提供する。
あまり良心的すぎては繁栄しないとサタンは人々に言う。
こうして、多くの者は、
厳格な誠実の道から離れるように誘われるのである。
悪の1歩は、次の1歩をたやすくする。
彼らは、ますます僭越になる。
彼らはひとたび貪欲と権力欲に支配されると、
どんな恐ろしいことでも、
あえてするようになる。
希望への光 228、229
2008年12月3日水曜日
イエスにしっかり目をそそぐ
2008年12月2日火曜日
2008年12月1日月曜日
主は我らの有用性
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