2012年6月30日土曜日
2012年6月28日木曜日
我々の日々の報酬
主が
我々の所に
来られるときは
いつでも、
主と共に、
主の報酬が
伴っている。
主はそれを
天に置いて来られた
のではなく、
毎日それを
我々にお与えになる。
日々主は、
我々に確信と光と
祝福を与えて下さる。
日々我々の心は、
無限の愛を持つ大いなる主のお心と
一つになって脈打つのである。
Manuscript 116. 1902年
2012年6月27日水曜日
2012年6月26日火曜日
生きている良心は告白へと導く
ダビデは
たびたび
主にあって勝利した。
ところが彼は
自分の無価値さや
罪深さを
非常に強調している。
彼の良心は眠っても
死んでもいなかった。
彼は叫んだ、
「わたしの罪はいつもわたしの前にあります」。
彼は、
罪は自分にはどうしようもない事だから
自分のことをあれこれ考えることはないのだと、
自分自身をよく見せたりはしなかった。
自分の心の中にある虚偽の深さを見たとき、
彼は自分を深く嫌悪し、
神の力で傲慢な罪から引き離して下さるように、
そして隠れた過ちから清めてくださるようにと
神に祈った。
目を閉じ、
良心をかたくなにして、
自分の罪を見ず
また認めずにいることは、
我々にとって安全ではない。
自分たちの罪を悔いて告白できるように、
罪の憎むべき性質に関して教えられたことを
しっかりと心にとめておく必要がある。
Letter 71. 1893年
2012年6月25日月曜日
神に対する罪
王座についている者が
犯しても、
卑しい身分の者が
犯しても、
罪は罪である。
たとえ
ゆるしを受け入れるには
遅すぎるとしても、
罪を犯した者はみな
いずれ
告白する日がやってくる。
神は罪人が告白するのを
待っておられる。
神は驚くほどの寛容を示される。
しかし最後には、
神は律法の違反者の責任を問わねばならない。
人は人を傷つけることで罪に問われるのだが、
最も大きな罪は彼が主に対して罪を犯したこと、
そしてその例によって
他の人に悪い影響を及ぼしたことである。
まじめな神の子は、
神のご要求をいささかも軽んじたりはしない。
. Manuscript 147. 1903年
2012年6月24日日曜日
理解への努力の一番目は
理解への努力の
一番目は、
やはり
〝よく聞く〟ということだと
思います。
私たちには
耳が二つあるのに
口は一つしかないということは、
自分が話すよりも
二倍聞かないといけない
ということの
象徴的な姿なのかも知れません。
*人間としてどう生きるか
2012年6月23日土曜日
2012年6月21日木曜日
2012年6月20日水曜日
つたないことばの祈りも
真心からの祈りは
どれも天に聞かれる。
それは
なめらかな言葉では
ないかも知れないが、
その中に
心がこもっている時、
イエスが奉仕しておられる聖所へのぼって行き、
イエスはそれを
ぎこちないどもることばが一つもなく、
御自身の完全という香りで
美しくかぐわしいものとして、
父にささげてくださるのである。
(『各時代の希望』 下巻149p)
祈り 79p
2012年6月19日火曜日
誠実な心から
誠実な心から、
信仰をもって
天に
ささげられる
どのような祈りも、
神によって聞かれ、
答えを得ることが
できるということ、
そして
祈りをささげた人は、
彼が
最も恵みを必要としている時に
それを受け、
しかもその恵みは
彼の予想と期待をはるかに超えたものである。
ということがわたしにはよくわかりました。
まことの信徒の祈りは、
もしそれが誠実な心からささげられるのであれば
ひとつとして失われることはありません。
(『教会への証』 第一巻121p)
祈り 77p
2012年6月18日月曜日
必要なのは心の静けさ
今や、
変えられるものを
変える自由が
与えられている。
必要なのは
勇気である。
また、
変えられないと
判断した時には、
主体的に
その事実を受け入れる
自由も与えられている。
必要なのは、
心の静けさである。
*愛をこめて生きる
2012年6月17日日曜日
聖霊によって導かれた単純な祈り
聖霊によって
導かれた
単純な祈りは、
キリスト自らが、
「わたしが開けた。
他の誰も
閉じることの
できない」と
宣言なさった扉を
通って天に
のぼっていきます。
これらの祈りは
キリストの完全という香りで
よりかぐわしいものとして、
父なる神にささげられるのです。
そして
天の御座から、
祈りをささげた者のところに
その答えが戻ってきます。
(『教会への証』 第六巻467p)
祈り 77p
2012年6月16日土曜日
2012年6月14日木曜日
不完全な人間の寄り集まり
不完全な人間の
寄り集まりである
社会に生き、
自分自身
不完全であるからには、
すべてが
完全に運び、
思い通りになると
考えるのは
大間違いであり、
それは
自分を
神の位置におくものでしかない。
*信じる「愛」を持っていますか
2012年6月13日水曜日
祈りの必要ーーどんな時でも
仕事の時、
また
余暇に人と交わる時、
あるいは、
一生の縁組を決定する時には、
熱心な、
また謙遜な祈りをもって
すべてを始める習慣を
つけるがよい。
それによってあなたは、
神を尊ぶことを示し、
神もあなたを尊ばれるのである。
気持ちが弱った時には祈りなさい。
失望に陥った時は、
固く口を閉じて、
人に語らず、
他人の道に暗い影を投げてはならない。
ただすべてをイエスに告げ、
助けを求めて手をのばし、
自分の弱さを知って
無限の力につかまるようにしなさい。
神の光の中に光を見、
その愛を楽しむため、
謙遜と知恵と勇気を求め、
信仰が増し加えられるように祈りなさい。
(『ミニストリー・オブ・ヒーリング 2005』 521p)
祈り 53-54p
2012年6月12日火曜日
2012年6月11日月曜日
祈りの必要ーー弱きを強さに
多くの神の民は、
自己を知り、
自己をコントロール
することの重要さを
わかっていません。
ですから、
誘惑に
陥らないように、
真剣に祈りに励むと
いうことをしないのです。
もし、
目をさまし、
しっかり自分と向き合うならば、
誘惑にいとも容易に襲われそうな、
自己の欠点、
弱点に気づくことでしょう。
そして、
用心し、真剣に祈るならば、
彼らの最大の弱点は最大の強さ、
長所となり、
誘惑に打ち勝つことができるようになります。
キリストに従いたいと思う人は
だれでも自分の言動について
熟知しておくために、
毎日
自分自身をしっかり調べてみることが必要でしょう。
(『教会への証』 第二巻511p)
祈り 53p
2012年6月10日日曜日
祈りの必要ーー正しい道からそれないために
たえず祈ることと、
たえず目をさまして、
怠惰にならないよう
警戒することが
なければ、
わたしたちは
次第に
不注意になり、
正しい道から
それていく
危険があります。
敵は恵みの御座への
道を遮断し、
わたしたちを
通らせないようにと
不眠不休の努力をしています。
彼らの目的は、
わたしたちが熱心な祈りと信仰によって、
天から誘惑に勝利する力と恵みを
得ないようにすることなのです。
(『レビュー・アンド・ヘラルド』 1904年12月8日)
祈り 52p
2012年6月9日土曜日
2012年6月7日木曜日
祈りの必要----神の働きをするために
神からゆだねられている
尊い働きをするために
十分な備えをしたいと
思うならば、
わたしたちは、
多くの祈りをささげ、
心を活発に働かせることが
必要です。
多くの人たちは、
本来、
彼らが到達できるはずの
目標に到達できていません。
それは、
神が彼らに
達成するために必要な力を
与えたはずの働きを彼らが成さず、
神が成してくれるのを
待っているだけだからです。
この人生において、
有用な能力を与えられている人はすべて、
精神的に、
また道徳的に
最も厳格な訓練を受けなければなりません。
その時、
神は彼らを助けて、
天の力と、
人間の努力とを強力に結合させてくださいます。
(『教会への証』 第四巻611p)
祈り 48-49
2012年6月6日水曜日
祈りに代わるいかなる活動もない
人々は、
活動が増し、
神のための
どんな働きにも
成功するようになると、
人間的な計画や方法に
たよる危険がある。
祈りが少なくなり、
信仰がうすくなりがちである。
弟子たちと同じように、
われわれは、
神によりたのむことを忘れて、
自分の活動を救い主にしようとする危険がある。
われわれは、
たえずイエスをながめて、
働きをなすのは
キリストの力であることを認める必要がある。
われわれは、
失われた者の救いのために熱心に働く一方で、
瞑想と祈りと神のみことばの研究に
時間をとらねばならない。
多くの祈りによってなしとげられ、
キリストの功績によって
きよめられた働きだけが、
善に対して力のあるものであったことが
最後にわかるであろう。
(『各時代の希望』 中巻99、100p)
祈り 47-48p
2012年6月5日火曜日
神は人間の器を必要とされる
我々は
律法の教えを実行し、
こうして
我々の前に正義を
持つべきである。
しんがりは
神の栄光となるであろう。
キリストの義の光が
我々の前を守り、
主の栄光が
我々のしんがりとなる。
この保証のゆえに、主に感謝しよう。
天の主なる神が
我々を恵むことができる位置に
いつも立つようにしよう。
神とつながっていること
ーー神の助け手であることは、
我々の高い特権であることを
よく考えよう。
失われた人類を贖う
神の大いなる計画において、
神は、
ご自分の助け手として
人間の器を用いることを必要とされた。
人類に影響を及ぼすために、
神は、
手伝ってくれる手を持たなければならない。
神は、
自分たちの仲間のために何をすべきか
素早く見抜き、
機会を素早く見、
行動しようとする人々の協力を
得なければならない。
Notebook Leaflets No.23. p1
2012年6月4日月曜日
心の肌を荒れさせないためには
心の肌を
荒れさせないためには、
栄養クリームを
心に
絶えず
つけていくことが必要です。
一日に
少なくとも
一回くらいは
感動するものを
持ってください。
なにか
〝いいなあ〟と思うものを
見つけてください。
*人間としてどう生きるか
2012年6月3日日曜日
祈りに多くの時間をかけなさい
多くの時間を
祈りとみ言葉の学びに
あてるようにしましょう。
真に
義に飢えかわいている者には、
聖霊が
彼らに与えられるということを信じ、
自分たちの魂の
信仰の実態を
把握しなければなりません。
・・・・・・今まで以上に
さらに多く祈り、
信じ、受け、
そして
神と共にみわざに励みましょう。
(『教会への証』 第六巻65、66p)
祈り 46p
2012年6月2日土曜日
2012年6月1日金曜日
親切という律法に生きなさい
主イエスは
我々の唯一の助け手である。
彼の恵みによって、
我々は愛を培うこと、
親切にまた優しく語るために
自分を教育することを学ぶ。
彼の恵みによって、
我々の冷たく粗野な作法が変貌する。
親切という律法が我々の唇に宿るようになるであろう。
すると、
聖霊の尊い感化のもとにある人々は、
泣く者と共に泣き、
喜ぶ者と共に喜ぶことが弱い証拠だとは思わなくなる。
我々は天来の品性のすばらしさを培うべきである。
我々は、
すべての人に善意を持つべきこと、
他人の生活における陰でなく日光であろうとする
真摯な望みを持つべきこと、
それがどんな意味を持つのかを学ばねばならない。
兄弟たちよ、
砕けた悔いた心を持とう。
舌を汚す言葉ではなく、
愛と同情の表現が唇から流れ出るようにしよう。
愛が心に作り出せる暖かさを他の人々が感じるようにしよう。
そして、
ずっと存在してきた利己主義や冷淡さや頑固さという悪を、
キリストの弟子と名乗る人たちが正すように教育しよう。
これらの特徴はみな、
キリストが心に宿っておられないという証拠である。
[コロサイ3;12、13を引用]
Review and Herald 1894年 1月 2日
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