聖書は祈りをもって
研究すべきである。
ダビデのように、
「わたしの目を開いて、
あなたのおきてのうちの
くすしき事を見させてください」と
祈らねばならない。
聖霊によって光を受けなければ、
神の言葉を洞察することは
誰にもできない。
もし我々が神の前にあって正しい姿勢をとりさえすれば、
神の光は豊かな明るい光線でもって我々に輝くであろう。
これが初代の弟子たちの経験であった・・・「使徒行伝2:1-4を引用」。
我々が熱心に求めれば、
神は喜んで同じような経験を与えようとしておられる。
Review and herald 1889年 6月 4日
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