2009年3月31日火曜日

自然の中で絶えず働いておられる神



神は自然界の中で
絶えず働いておられる。

自然は、
神がよしとされるように監督されている神の僕である。

自然の営みは、
意のままにすべてのみわざの中で働かれるお方の
知的存在と活動を証している。

年々地球が惜しみなく物を産出し、
世界が太陽の周りを絶えず行進し続けているのは、
自然の中に本来備わっている元々の力によるのではない。

無限の力の御手が絶えず働いて
この惑星を導いておられる。

地球の回転において位置を保っているのは
一瞬一瞬働いておられる神の力である。
天の神は絶えず働いておられる。

植物が茂り、葉が現れ、花が咲くのは、
神の力によるのである。

脈を打ち、呼吸を続けることは、
いったん仕掛けられた動きがその仕事を続けていると
いうような機械作用の結果ではない。

神のうちに我々は生き、働き、存在を保っている。

すべての呼吸、すべての心臓の鼓動は、
常にそこにある神の力の絶えざる証拠である。

神は天空に太陽を昇らせ、天の窓を開いて雨を降らせ、
山々に草を生えさせる。

「主は雪を羊の毛のように降らせ、霜を灰のようにまかれる」。

「彼が声を出されると、天に多くの水のざわめきがあり、
・・・彼は雨のために、いなびかりをおこし、
その倉から風を取り出される」。

神はご自分が創造したものを神のしもべとして絶えず用い、
これを支えておられるが、また自然の法則を通して働かれ、
それをご自分の手段としてお用いになる。

キリストは言われた、
「わたしの父は今に至るまで働いておられる。
わたしも働くのである」

                       Manuscript 4. 1882年

2009年3月30日月曜日

善良な人たち


かれらの顔は くもりのない鏡だ。

きれいに磨かれた鏡

ふとその鏡の前に立ってみると

恥ずかしい自分の姿が映っている。


2009年3月28日土曜日

聖書研究ガイド・学びの助け




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2009年3月27日金曜日

グレイス・ファミリー


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あなたの名を呼ぶ神様

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2009年3月26日木曜日

「水がめを置いて」


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2009年3月25日水曜日

聖霊に対する罪



誰も聖霊に対する罪を
何か神秘的で、
定義できないものとして
見る必要はない。

聖霊に対する罪とは、
悔い改めへの招きに応えるのを
執拗に拒む罪のことである。

Review and Herald 1897年 6月 29日


2009年3月24日火曜日

神は集会の場におられる


どこのクリスチャン家庭でも、
朝夕祈りと賛美をささげることによって
神が崇められるべきである。

子供たちは祈りの時を尊び敬うよう
教えられねばならない。

祈りや礼拝の時間と場所は、
神がそこにご臨在なさるゆえに、
神聖なものとして考えるべきであることを
子供に教えなければならない。

敬神の念が態度や動作に現わされるとき、
この念をよび起こす感情はますます深くなる。

               家庭の教育 588


2009年3月23日月曜日

我々の日々の報酬



主が我々の所に
来られるときはいつでも、
主と共に、
主の報酬が伴っている。

主はそれを天に置いて来られたのではなく、
毎日それを我々にお与えになる。

日々主は、
我々に確信と光と祝福を与えて下さる。

日々我々の心は、
無限の愛を持つ大いなる主のお心と
一つになって脈打つのである。

          Manuscript 1 16. 1902年


2009年3月20日金曜日

火の池に投げ込まれた

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愛されているから

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2009年3月19日木曜日

2009年3月18日水曜日

魂とイエスの間の間隔



[ヨハネの第一の手紙 2:15]

少しずつ世に近づいて行き、
感情、計画、思想が
世の人々のようになる者たちは、
彼らと救い主との間の間隔をあけている。

そこでサタンは、
このすき間に侵入し、
彼らの計画に卑しい、世に染まった、
利己的計画を織り込ませるようにする。

   Review and Herald 1887年 6月 7日

2009年3月17日火曜日

我々を守るために近くいる天使たち



もし我々が
天の武具を身につけたなら、
敵の襲撃は
我々に力を及ばさないことを
知るであろう。

神の天使たちが、
我々を守るために、
我々の周囲にいるのである。

Review and Herald 1905年 5月 25日

2009年3月14日土曜日

自然に逆らわずに生きる

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広島三育中学卒業式

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2009年3月12日木曜日

天音三楽奏 「主の祈り」

 (SDA富山キリスト教会)条谷秀夫 作曲:「主の祈り」



たまねぎ茶



玉ねぎの皮の部分に含まれる
「ケルセチン」という成分は、
抗酸化作用のあるポリフェノールの一種で、
ビタミンCの吸収を助けたり、デトックスや
アンチエイジングなどに効果があると
言われているそうです。

さらに、花粉症の炎症を抑える効果や
アレルギーを抑制する作用もあるそう。

皮から抽出される〝自然の甘みとコク〟を
味わえる『オニオンティー』は簡単にできるので
〝飲まなきゃそん!〟

          《材料》

* 玉ねぎの皮(一番外側の赤い皮)2~3コ分

* 水  1ℓ

          《作り方》

玉ねぎの皮を水でよく洗って、 1ℓの水を入れた
やかんや鍋で、水から入れて10分位 弱火で煮出す。
きれいな色が出れば OK!

(玉ねぎ1個分なら500mlで)
冷蔵庫で2~3日は持つそうです。

・・・・もし、煮出しすぎて、玉ねぎの味がしたら、
ハーブティーやジュースなどで割ると飲みやすくなるようです。

2009年3月11日水曜日

空の器が必要



主のご用のために、
どのような器がふさわしいであろうか。

空の器である。

魂からあらゆる汚れを取り出す時、
我々はご用のために用意ができるのである。

    Review and Herald 1899年 2月 28日


2009年3月10日火曜日

真実な祈りは退けられない


悩み苦しみにあうものはすべて
神を呼び求めるとよい。

冷酷な人々にたよることをしないで、
創造主に、あなたの求めを申し上げなさい。

砕けた心をもって、神に来るものは、
だれ一人しりぞけられることはない。

心からの祈りは、
決して消えてしまうものではない。

天の聖歌隊の賛美を受けておられる神は、
弱々しい人間の叫びをも聞かれる。

わたしたちが、へやの中で心の願いを申し上げたり、
あるいは、道を歩きながら祈ったりすると、
そのことばは宇宙の王のみ座にまで達する。

それはだれの耳にも聞こえないであろうが、
消え去ってしまったり、忙しい仕事に取りまぎれて、
なくなったりしない。

何も、人の心の願いを消し去ることはできない。

祈りは街頭の騒音や群衆の雑踏をこえて、
天の宮廷へと上っていく。

わたしたちが語りかけているのは、神である。

そして、神は、
わたしたちの祈りを聞かれるのである。

                キリストの実物教訓 155


2009年3月9日月曜日

マックス・ルケードの川のたとえ話

お礼拝の子どもの話しで、
クリスチャン童話作家のマックス・ルケードの
川のたとえ話を日本人風にアレンジして、お話させていただきました。  

昔、ある山の中に大きなお城がありました。
王様とその息子が5人、そこに住んでいました。

長男の一郎兄さんはたいへん真面目で優しい人、立派な息子でした。
ところが、あとの4人の息子、二郎、三郎、四郎、五郎が
だいぶいい加減な子どもたちでした。  

お父さんからは、いつも、
「流れているあの川に気をつけろ」と言われていました。

長男の一郎兄さんの他4人の息子たちは、川が気になって、気になって、
とうとう、一人が川の水に手を触れようとしました。  

残りの3人は、お互いに手を取り合い、
最後の一人が木の枝につかまっていました。

ところが一人が川の水に手を入れた瞬間、足元がすべってしまいました。
激しい川の流れになんと、4人とも一緒に流されてしまいました。  

4人は、流され、流され、とうとう、山のふもとの土手に流れ着きました。
命があったのが奇跡です。
そこは作物のそだたない荒れた土地、
寒くて、冷たい風が吹き付ける土地でした。  

そこに住む人々は、乱暴で、悪いことばかりを考えていました。
山の上の故郷とは似ても似つかない場所でした。  

ところが故郷へもどろうとしても、山に登るには道は険しすぎます。
道もわかりません。4人はしかたなく小屋を立て、獣を取り、
木の実を食べて、なんとか暮らしました。  

4人は夜になると、焚き火をして、自分たちのしたことを反省しては、
故郷のお兄さんとお父さんの話をして、互いになぐさめあいました。  

ところが、ある日、次男の二郎君がいなくなりました。翌日、
残った3人は、二郎君が土地の人たちとお酒を飲んでいるのを見つけました。

次郎さんは3人に言いました。
「いつまでも故郷のことを話したってなんになるんだ。
もう、故郷には帰れっこない。ここが故郷さ、ここに俺は大きな家を建てるんだ。
お父さん?お父さんは迎えに来てはくれないさ。
お父さんのことは忘れて、ここで面白おかしく過ごすんだ」。  

しかたなく、残った3人は毎日夜になると焚き火をして
お父さんと長男のことを話していました。

ところが、またある日、今度は、三男の三郎君が姿を消しました。 
どうしたんだろう・・・  残った二人は翌日、
次郎兄さんを監視している三郎君を見つけました。

双眼鏡を片手にノートに何かを書いています。
「三郎兄さん、何しているの?」
「次郎兄さんはとんでもないことをしている。お酒を飲んだり、
バカ騒ぎをしたり、すっかりお父さんやお兄さんのことを忘れている。
けしからん。僕はこうして、二郎兄さんのしていることを監視しているんだ」。

「でも、三郎兄さんだって、
お父さんの言いつけをやぶって川に流されてきたんじゃない。
人のことは言えないよ」。

「いやいや、僕の犯した間違いなんて、
あの二郎兄さんのやっていることに比べたらたいしたことじゃない。
ぼくは、ここで朝も夜も昼も、監視して、二郎兄さんのノートに悪行を書きとめ、
いつか、お父さんに言いつけてやるんだ。
だから、僕のことはもう、かまわないでくれ」。  

しかたなく、残った2人は、
毎日夜になると焚き火をしてお父さんと長男のことを話していました。

ところが、またまたある日、今度は、4男の四郎君が姿を消しました。  
どうしたのかと思ったら、四郎君は、川に石を積んでいます。
末っ子の五郎君が聞きました。「何しているの?」
すると四郎君は
「川に石を積んでお父さんの住んでいる山の上まで道を作ろうと思って」
「むりでしょう。だって、石を積んだそばから、川の勢いで流されているよ」。
「できるさ。自分の力でやりとげるんだ。こうでもしなければ、
お父さんは自分をゆるしてくれないよ」。  

とうとう、小屋に残ったのは末っ子の五郎君だけになってしまいました。
その夜も一人で焚き火をしながら、
お父さんと長男の一郎兄さんのことを思い出していました。  

すると、そこに、一郎兄さんが現れました。間違いありません。
それは正真正銘の一郎兄さんでした。

「君たちを迎えに来たよ。後の3人はどこにいるの?」
「3人のお兄さんたちは・・・」  

五郎君は翌日、一郎兄さんを3人のお兄さんたちの所へ案内しました。
「二郎兄さん、一郎兄さんが僕たちを迎えに来てくれたよ。」
「あっちへ行け!」「迎えにきたんだよ」
「うそつけ、兄さんは俺の豪邸を乗っ取りに来たんだろう」
「これは豪邸なんかじゃない、小屋だよ。お父さんの家を覚えているだろう?」
「俺にはお父さんなんかいない」。
土地の人たちも出てきて、「そうだ、そうだ、二郎、あんなやつにだまされるな!
あっちへいっちまえ!」二郎兄さんは一郎兄さんの言葉より、
土地の人々の言葉を信じました。  

次に一郎兄さんと五郎君は、三郎兄さんのところに行きました。
「あ、一郎兄さんかい?いいところに来た、
ここからだと二郎兄さんの罪が良く見えるよ。あいつを裁いてやってよ」。

一郎兄さんは、やさしく言いました。
「それよりも、まず、君自身の罪を問題にしなくてはならないよ」
「僕の罪?」「そう、君がお父さんの言いつけを守らずに川に流されたことさ」。
「何言ってるの、僕の罪なんて、なんともないよ。罪人はあっちにいるんだよ。
ゆるせないよ。僕は山へは帰らない。
ここにいて、二郎兄さんの悪行を記録しておかなければならないからね」。  

次に一郎兄さんと五郎君は、四郎兄さんのところに行きました。
「迎えにきたよ」。
「今は忙しくて一郎兄さんと話している暇はないよ」
「もう、そんなことをしなくても、一緒に家に帰ろう」。
「駄目だよ、お父さんは僕のことを赦してくれるわけないさ」
「赦してくれたから、僕をここに送ったんだよ。
君はお父さんの恵みによって赦されたんだよ」
「そんなことはない。僕は自分の力で道をつくらなくちゃ。
ほら、もう石を5個も積むことができた」
「そんなんじゃ無理だ」
「たとえ無理でも、そうしなくちゃ、お父さんは赦してくれない、
そうか、お前は悪魔だな、僕の仕事をじゃましようとして・・・出て行け!」  

好き勝手に生きることを選んだ二郎兄さん、
人をさばくことを選んだ三郎兄さん、
自分の努力で家に帰ろうとした四郎兄さん。

三人ともお父さんと一郎兄さんを選びませんでした。

五郎君は一郎兄さんに尋ねました。
「僕たちはお父さんのところへ戻るんでしょ?」
「そうだよ」
「お父さん赦してくれるかな?」
「赦してくれなかったら、僕をここによこしたりしないよ」。  

五郎君は一郎兄さんの背中におんぶしてもらいながら、
山の上の家まで連れていってもらいました。
山の上のお父さんはどなたのことでしょう? 
助けに来てくれた一郎兄さんはどなたでしょう。  

お父さんは神様、一郎兄さんはイエス様ですね。
私たちは、天のお父様、神様のことを忘れてはなりません。
また、人の罪や間違いばかりを探して、自分も罪を犯したこと、
その罪をイエス様に赦してもらっていることを忘れてはなりません。  

また、自分の力と行いに頼って、神様の愛と赦しを忘れてはなりません。
私たちは天の神様が与えてくださる愛と赦し、
イエス様のお招きをそのまま受取りましょう。
そしてみんなで神様の子供となりましょう。


                            (by 藤田 昌孝)

2009年3月8日日曜日

バーガー味噌

数日前にテレビで紹介されていた
豚味噌をグルテンバーガーで作ってみました。

<材料>

グルテンバーガー  150g
砂糖          100g
玉ねぎ         1/2 コ
ニンジン         20g
味噌          250g
おろしにんにく  小さじ 1/2
おろしショウガ  小さじ 1/2
みりん        小さじ 1
すりゴマ       小さじ 1

<作り方>

① バーガーをフライパンでからいりする。
② ①に砂糖半分を入れて混ぜる。

③ すりおろした玉ねぎ、ニンジン、
味噌の順に入れて混ぜ、
残りの砂糖を入れて混ぜる。

④ にんにく、ショウガ、すりゴマ、みりんを加え
ひと混ぜしたら完成!

<保存期間>

冷蔵庫で2週間くらい。

野菜炒めに混ぜたり、チャーハンにもOK。

パンにも合うっていうことでしたが、

明日から試してみます。

***

かなり甘そう・・と思ったけど、

初めてなのでレシピ通りに作ってみました。

やっぱり甘い!けど、それに、ショウガねぎを

加えてみたら、お・い・し・い!!

2009年3月6日金曜日

イエス様の伝道方法

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2009年3月5日木曜日

救いの根拠と目的

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2009年3月4日水曜日

神はキリストのうちにあって、誘惑に耐えられた



神は人のかたちを取られたキリストにあって、
人にふりかかるすべての誘惑に耐えられた。

神は我々のために、
みじめな人間性の苦しみや試練にあずかられた。

   Sabbath School Worker 1907年 12月 10日



2009年3月3日火曜日

愛、最も価値ある特質


キリストが人の内に
最も高く評価なさる特質は、
清い心から出てくる愛である。

これが、
クリスチャンという木になる実である。

        Manuscript 16. 1892年



2009年3月2日月曜日

とるに足らない者



それでもなお、モーセは主に言った。

「ああ、主よ。
わたしはもともと弁が立つ方ではありません。
あなたが僕にお言葉をかけてくださった今でも
やはりそうです。
全くわたしは口が重く、舌の重い者なのです。」  

主は彼に言われた。
「一体、誰が人間に口を与えたのか。
一体、誰が口を利けないようにし、
耳を聞こえないようにし、目を見えるようにし、
また見えなくするのか。
主なるわたしではないか。
さあ、行くがよい。
このわたしがあなたの口と共にあって、
あなたが語るべきことを教えよう。」  

モーセは、なおも言った。
「ああ主よ。どうぞ、だれかほかの人を見つけて
お遣わしください」(出エジプト4:10~4:13)。  

モーセは、神様からイスラエルの民を
エジプトの地から脱出されるために、
召命を受けますが、それについては、執拗に拒みます。

エレン・ホワイトは神様からの召しを受けたモーセの描写を
次のように表しています。
「神の命令がモーセに与えられたとき、彼は、自信がなく、
口が重く、おくびょうであった。

彼は、イスラエルびとに対する神の代弁者としての、
自分の不適任さを思って圧倒された。  

しかし、ひとたびその任務を受け入れるや、
主にまったく信頼を寄せ、全心をこめて働きを始めた。

彼はこの偉大な働きのために、彼の知力のかぎりを尽くして働いた。  

神は、モーセのこのような従順な態度を祝福されたので、
彼は雄弁になり、希望に満ち、落ちつきを取りもどして、
人間にゆだねられた最大の働きにふさわしい人物となった。

これこそ神にまったく信頼し、
主のご命令に完全に従う者の品性を神が強化されるよい実例である。  

人間は、神がお与えになる責任を受け入れ、
全力を尽くして正しく遂行しようと願うときに、
力と能力とを受けるものである。

たとえ、その地位がどんなに低く、その能力にかぎりがあったとしても、
神の力に信頼し、その働きを忠実に果たそうとするものは、
真に偉大なものになるのである。  

もしも、モーセが自分の力と知恵に頼り、
大きな責任を自分から進んで負ったとすれば、
彼はそのような働きに全然不適当であることを示したことであろう。  

人間が自分の弱さを認めるという事実は、
少なくとも彼が、与えられた仕事の大きさを認識し、神を彼の力、
助言者とするということの証拠である」(『人類のあけぼの』上291)。  

ドワイト・ムーディーは、モーセについて、このように語っています。
「モーセは自分はひとかどの人物であると考えて40年を
全くとるに足りない人間であることを学ぶのにさらに40年を
全くとるに足りない者に神が何をしてくださるかを発見するのに、
さらに40年をすごした」。  

私などはひとかどの人物であるなどとは考える間もなく、
ひたすら、とるに足りない人間であることを学ぶのに、
50年をかけてきました。

あとは、とるに足りない者に
神様が何をしてくださるかを発見してゆかなければなりません。  

牧師のみならず、多くの信徒の方々も、
福音宣教という神様のお働きに、その場その場で召命されています。

私たちが、この偉大な働きのために、主に信頼を寄せ、
知力の限りを尽くして働くならば、
神様は豊かな祝福をもって報いてくださると信じます。       

                                 (by 藤田 昌孝)

2009年3月1日日曜日