イエスのみ手の中で、完全な休みを得なさい。
主の大きな愛をよく考えなさい。
我々が彼を信じるために、
その自己否定や払われた無限の犠牲を瞑想するなら、
聖なる喜び、穏やかな平安、
そして
言いあらわしようもない愛で心が満たされるであろう。
イエスのことを話し、
祈りの中でその名を呼ぶとき、
彼は
我々の個人的な慈しみ深い救い主であるという確信が強くなり、
彼のご品性がもっと美しく見えてくることであろう。
Letter 52. 1894年
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