2012年9月30日日曜日

心に愛を持って生きるということは








心に愛を持って生きるということは、
単に、
貧しい人、
弱い人、
いわゆる
他人に愛を抱いているということだけではなくて、
むしろ、
この世で一番〝貧しく、弱く〟、
したがって、
最も私の優しさを必要としている「自分」に
優しくすることなしにはできない。


*心に愛がなければ







2012年9月28日金曜日

2012年9月27日木曜日



2012年
「中国延吉教会訪問 交流の旅」

右サイドページ(上方) 画像上クリックしてご覧ください。
「写真」 「記録・説明文」 「感想文」
(3ページあります)



自分の罪深さを・・


自分の罪深さを悟らない人の心には、
イエスに対する深い愛もやどりません。

キリストへの道 86p





2012年9月26日水曜日

中国延吉教会訪問交流会


詳しくは
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2012年9月25日火曜日

人間関係は


人間関係は、
連帯感を必要とする一方、
個の確立を必須のものとします。

それは、
自分にしか送れない生活を
自分が送ることへの
責任と誇りをもった人の
生き方であり、
同時に、
他人にもそれと同じ権利があることを
認める生き方です。


*美しい人に



2012年9月24日月曜日

「ただわが霊によって」


私たちが必要としているのは
聖霊の力強い感化です。

「武力によらず、権力によらず、ただわが霊によって」
(ゼカリヤ4:6)と主は言われます。

休むことなく祈り続けなさい。

そして祈りと一致する働きをなすべく励みましょう。

祈っている通りに信じ、ゆだねなさい。

後の雨の時、
神は豊かに聖霊を与えてくださいます。

熱心に祈りなさい。

そして聖霊に満たされて目をさましていましょう。


(『牧師への証』 512p)

祈り 195p



2012年9月23日日曜日

ある一つの行為が


ある一つの行為が生み出してゆく
次々の結果に対しての責任は、
やはり
その「一つの行為」にある。

だから、
「今、このこと」に自分のベストを尽くし、
愛をこめて生きるのだ。

それは、
一期一会の心で生きることだと言ってもよい。


*心に愛がなければ





2012年9月21日金曜日

2012年9月20日木曜日

信仰によって約束の聖霊を求める





みたまは、
へりくだった心で
神に仕え、
そのみちびきと
恵みを
待ち望む者にだけ
与えられる。

神の力は
彼らが求め、
受けるのを
待っている。

この約束された祝福を
信仰によって求める時に、
ほかのすべての祝福は
次々と与えられる。

それはキリストの恵みの富にしたがって
与えられるのであって、
主はどの魂にもその受け入れる能力に
したがっていつでも与えてくださる。


(『各時代の希望』下巻158p)

祈り194p





2012年9月19日水曜日

ほんとうに謙遜な人というのは


ほんとうに謙遜な人というのは、
持っているものを持っていますと言い、
持っていないものを持っていませんと、
すなおに言うことのできる人であり、
それができたらどんなに自由で、
おおらかでいることができるだろうかと思います。


*人間としてどう生きるか




2012年9月18日火曜日

すべての行為と秘密の事柄は裁かれる




詩篇記者は
「主のおきては完全」
であると言っている
(詩篇19:7)。

単純、完璧、完全な
エホバのおきては
なんとすばらしい
ものであろう!

それは
非常に簡潔なので、
我々はどれも覚えることができるが、
それでありながら
神のみ心の全てを表現し、
外観の行動だけでなく、
人間の心の恩恵と意図、
願望と感情を認識するほどの包容力がある。

人間の法律はこうはできない。

外観の行為を扱うことができるだけである。

人は律法違反をしても
人間の国からはその間違った行為は隠されるかもしれない。

彼は犯罪者ー盗人、殺人者、姦淫者ーであっても、
長い間見つからないかもしれない。

律法は彼を有罪と宣告できない。

神の律法は、
その気はあっても機会がないので
外観の行為となっては現れない嫉妬、ねたみ、憎しみ、悪意、欲情、
そして魂を揺るがす野心をご覧になる。

そしてこれらの罪深い感情は、
「神はすべての技、並びにすべての隠れたことを善悪ともに裁かれる」
(伝道の書12:14)日にとがめを受けるであろう。


Selected Messages, book 1 217p




2012年9月17日月曜日

人間は淋しさの中で成長する








人間は
淋しさの中で成長する。

淋しさを感じない時には
気づかなかった
自分の無力さと
限界を知り、
他人と自分の間に
横たわる
必然的な距離について
考察するようになる。

淋しさの苦杯をなめて、
はじめて、
他人もまた味わっている
孤独感へのやさしいいたわりの心を
育てることができるのだ。


*信じる「愛」を持っていますか






2012年9月16日日曜日

休息し、考え、感謝する時間をとりなさい








主は人間に、
休息し、
天の事柄について考え、
感謝する時間をとるように
望んでおられる。

天の事柄には
時間をさくだけの
価値がないと考える人々は、
結局すべてを
失うことになるだろう。


Letter 181. 1903年






2012年9月14日金曜日

2012年9月13日木曜日

生きる勇気の喪失


生きる勇気の喪失、
寂しさという病気を治す薬は、
どんなにお金を積んでも、
どれほど頭の良い人が集まってもつくれない。

そして、
それを与えることができるのは、
人間の温かい心、手、
まなざしでしかない。


*心に愛がなければ



2012年9月12日水曜日

祈りが答えられるためには祈りを生きる


わたしたちは、
生活に矛盾がないように
目を覚まして祈るべきです。

目を覚まして祈るということは、
祈りが答えられるように
神の前に
わたしたちの祈りそのものを
生きるということです。


(『セレクテッド・メッセージ』第一巻116、117p)

祈り 168p




2012年9月11日火曜日

イエスにある真理


もし、
我々が自分の考えに従って真理を教えるなら、
そこにはいつも当然あるべき完全な調和は
見られないことが分かるであろう。

しかし、
もし我々がイエスにある真理をもって教えるならば、
真の教育を教えることになる。

そして、
我々は様々な異なる意見を持つことなく、
自分自身の思想に頑固に執着することなく、
見解が全く一致するであろう。

そして、
キリストにある真理を我々が提示するときに
彼が助けて下さると信じて、
教えるならば、
我々は彼の助けを期待することができ、
またそれを得ることができるであろう。


Review and Herald 1887年 5月 10日



2012年9月10日月曜日

パウロの完全な献身


「働かざる者、食うべからず」という言葉は、
地上一般の事柄と同様に霊的、
宗教生活にも当てはまる。

パウロは日常の働きにおいて、
自分を軽視することも
自分の品位を低めることも、
不満足になることもなく、
身体的重荷に耐えただけではなく、
同時に知性の働きを向上させ、
霊的知識に到達する働きの重荷を負った。

彼は教え、
教えた教訓を実行した。

彼は神が与えて下さった幻を
繰り返し思い出して、
与えられた光から、
すべての人は
強い頭脳と筋肉と腱を持つ働き人に
ならなければならないということを理解した。

このキリストの忠実な弟子、
イエス・キリストの使徒は、
神の奉仕のために無条件で献身した。

Letter 2. 1889年


2012年9月9日日曜日

天の父なる神は


天の父なる神は、
生命と知恵と喜びの源であります。


キリストへの道 1p




2012年9月7日金曜日

2012年9月6日木曜日

愛のない生活が・・


愛のない生活が
地獄のようなものであるのに反し、
愛のみなぎる生活は
人間を生き生きとさせる。

生活には張りを、
すること、なすことすべてに
意味を与えてくれる。

その人にとって
つまらないものはなくなる。


*愛をつかむ




2012年9月5日水曜日

従順は完全へと導く


単純な信仰、
そして疑念を持たない従順の価値を
どんなに評価してもし過ぎることはあり得ない。

品性が完全に達するのは、
単純な信仰をもって
従順の道をたどることによるのである。

Manuscript 5a.1895年




2012年9月4日火曜日

嵐の朝にも讃美のつどい





名簿が読み上げられたとき、
一人も欠けた者はいなかった。

三百人近い人々
・・・水夫、兵士、乗客、そして囚人・・・が、
11月のその嵐の朝
マルタ島の岸辺に立った。

そしてそこには、
パウロとその兄弟たちと一緒に、
彼らの命を守り
非常に大きな危機の中を
無事に陸に着かせてくださった
神に感謝する者たちが
何人かいた。


Life of Paul 270

2012年9月3日月曜日

経験という確証




最高の教育を
うけた者にも、
最も無学な者にも、
はっきり示される証拠は
経験という
確証であります。

神は
み言葉の真実なこと、
み約束の真実であることを
私ども自らがためしてみるようにと
仰せになりました。

神は私どもに「主の恵みふかきことを味わい知れ」
(詩篇34:8)とお命じになりました。

ほかの人の言葉に頼らないで、
自分で味わってみなければなりません。

神は「求めなさい、そうすれば与えられるであろう」
(ヨハネ16:24)と仰せになるのでありますから、
この約束をまちがいなく果たしてくださいます。

神の約束は今まで違ったこともなければ、
これからも違うことはありません。

そして私どもがイエスに近づき、
イエスのあふれる愛にひたるとき、
イエスの臨在の光に
私どもの疑いも暗きも消え去ってしまうのであります。


キリストへの道 155、156







2012年9月2日日曜日

考えない人間でなくて


考えない人間でなくて、
考える人間になるということ。

人まかせにする人間ではなくて、
自分で選ぶ人間になるということ。

これが人格化のまず第一歩なのです。


*人間としてどう生きるか