形式的な祈りは受け入れられない
多くの場合、
朝夕の礼拝は
単なる形式的な
ものになり、
感謝の念も
祈り求める気持ちも
見られない、
決まりきった言葉の、
退屈で単調な
繰り返しに
終わっています。
主はそのような礼拝はお受けになりません。
しかし、主はへりくだった心や
悔いくずおれた心の願いを軽んじることは
決してありません。
天の父なる神に、
心を注ぎ出すこと、
全幅の信頼をおいて
すべてをゆだねていることを言い表すこと、
自分たちの必要を懇願すること、
恵み深い神の愛に感謝すること
-----これが真の祈りです。
(『家庭の教育』563、564p)
祈り 306、307p
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