我々はエホバを礼拝するのか、
それともバアルを礼拝するのか、
目に見える寺院はないかもしれない。
目に留まる偶像はないかもしれない。
それでも我々は偶像礼拝を行っているかも
しれないのである。
木や石で神々を形作るのと同様に、
大切にしている考えや目的を偶像にするのは
たやすいことである。
幾千という人々が神とその属性について
間違った概念を持っている。
彼らはバアルのしもべがしているように、
まさしく間違った神に仕えているのである。
Review and Herald 1908年 11月 3日
0 件のコメント:
コメントを投稿