2012年12月31日月曜日

私たちは・・


私たちは、
「ただ老いる」だけの日々を送りたくないものです。

「ただ働く」だけの日々でもなく、
生活の随所に愛をこめ、
意味を見出し、
自分しか作ることのできない〝財産〟としての
毎日を過ごしたいと願っています。


*目に見えないけれど大切なもの



2012年12月30日日曜日

人は死ねば・・


人は死ねば焼き場に連れていかれて、
焼かれて灰と骨になります。

その時に、
焼き場の1,200度の高温でも、
愛は焼けないんです。

レントゲンに写らず、
目に見えなかったもの、
しかしながら今日私を生かしているもの、
それは焼けないんです。

だから、
愛は死よりも強いのです。

愛は死に負けないで不滅なのです。


*人間としてどう生きるか




2012年12月28日金曜日

2012年12月27日木曜日

なにかをなさっている時に








なにかをなさっている時に
フッと思い出して、
「ああそうだ、
これをあの人のためにしよう」
と思ってください。

それは、結局
〝人格としての生き方接し方〟という、
他の動物にはできない
私たち人間の特権だろうと思います。

誰かのためになにかができる。


*人間としてどう生きるか





2012年12月26日水曜日

クリスチャンの生活は他の人々のために





[箴言4:18]

イエスの愛で
満たされた魂は、
言葉に礼儀正しさ、
容貌、希望。、勇気、
また
落ち着きを添える。

キリストの精神を表し、
人々に愛を吹き込み、
それが
反映されるようになる。

よりよい生活への
希望に目覚めさせる。

気絶しそうな魂が力づけられる。

誘惑にあって葛藤している人々は強くされ慰められる。

その言葉、その表情、その作法が
太陽の明るい光線を投げかけ、
すべての光の源である天国に向かうはっきりとした道を、
その後に残す。

我々には皆、他の人々を助ける機会がある。

我々は絶えず、何らかの印象を若者たちに与えている。

顔の表情はそれ自体、内面生活の鏡である。

イエスは、我々が彼ご自身のようになり、
優しい同情で満たされ、
人生の小さな義務において愛の奉仕を懸命に努めることを望まれる。


Manuscript24. 1887年





2012年12月25日火曜日

クリスマスキャロル・メドレー


今年のではないですが・・・



2012年12月24日月曜日

私たちは






私たちは、
プレゼントという言葉を
よく使います。

プレゼントをいただく、
差し上げるというように。

しかし、
人間がほんとうに
必要としているのは、
その人の存在、
プレゼンスなのです。


*人間としてどう生きるか





2012年12月23日日曜日

人間一人ひとりが・・


人間一人ひとりが持っているものは、
いただいたものです。

多く与えられた人は、
多く返さないといけません。


*人間としてどう生きるか



2012年12月21日金曜日

2012年12月20日木曜日

一度祈りを怠れば・・・・


ひとり静かに神に祈ることと、
みことばを学ぶこととを怠っていないか
否かに気をつけましょう。

これこそ私たちが天国へ進むのを
妨げようと努力しているサタンに
対する武器です。

祈りと聖書研究を一度怠れば、
次に怠ることは
いっそう容易になります。

聖霊の訴えに一度さからえば、
次にまた逆らう道が開けます。

こうして心はかたくなになり、
良心は無感覚になります。


(『青年への使命』88、89p)

祈り 288-289p



2012年12月19日水曜日

念じながら、祈りながら





今日に心をこめて
生きるということは、
とりも直さず、
その24時間を構成している
「今」をたいせつに
するということであり、
今の心と書いて「念」と
いう字になるように、
念じながら、
祈りながら生きるということは、
次の瞬間を、
またその積み重ねである
一生の充実をもたらすものとなる。


*愛をこめて生きる





2012年12月18日火曜日

祈りの習慣をつける







物質的な食物が
肉体の健康に
欠かせないように、
日ごとの祈りは
恵みにおける成長、
また
霊的生命そのものに
欠かすことのできないものです。

私たちは祈りによって、
しばしば思いを神に向けるように
自分自身を習慣づけるべきです。

もし心が迷うなら、
それを連れ戻さなければなりません。

忍耐強い努力によって、
習慣は最終的に容易なものとなります。


(『清められた生活』 90p)

祈り 337p




2012年12月17日月曜日

祈りのない家庭は悲劇






祈りのない家庭ほど
私を悲しませるものは
ありません。

私は、
祈りのない家では
一晩たりとも
安らぐことはできない
ように思います。

そして、
親たちに彼らの
足りないものを悟らせ、
悲しむべき怠慢に気づかせ、
反省させることが望めないようならば、
そのようなところには
とても私は留まっていられません。

子供たちは、やがて、
祈りがおろそかにされた、
その怠慢の結果をあらわすようになります。

神を畏れる思いが彼らの中に
育まれてきていないからです。


(『家庭の教育』 563p)

祈り 303-304p




2012年12月16日日曜日

新しくなりたいと


新しくなりたいという気持ちを持つ時があります。

他人から意地悪をされたり
ひどいことを言われたりして
すごく淋しい一日もあるし、
自分自身に愛想をつかす一日もあります。

そんな時には、早く寝てしまう。

そして翌朝、
新しく目を覚ます。

覚ましたいと思う。


*人間としてどう生きるか




2012年12月14日金曜日

2012年12月13日木曜日

一人で生まれ


一人で生まれ、
一人で死んでゆかなければならない人間は、
その生涯の間、
ふれあいを求め続けて生きる。

そのふれあいが
絶えず新鮮であるためには、
ふれあえるだけの近さとともに、
ふれあいが実感として感じられるだけの距離も
なければならないのは当然であろう。


*愛をつかむ




2012年12月12日水曜日

神に粘土細工をしていただこう



神が差し控えておられることを、
人が自分のために考案し
計画している間は、困難な目に会う。

彼は不満をもらし、気をもむが、もっと困難が増す。

けれども、
彼が陶器師の手中にある粘土のように屈服すると、
その時、神は彼を尊い器に作りあげて下さる。

粘土は身を任せて、作品とされる。

もし神にご自分の方法がおありなら、
何百もの器をご自分が最も良いと思われるように
作られるであろう。


神のみ手で、
ご自身の奉仕のために粘土を扱っていただこう。

神は、
ご自分がどんな種類の器を望んでおられるのかを
正確に知っておられる。

すべての人に、神はその人の働きをお与えになる。

神は、
彼に最もふさわしいのはどんな場所であるかご存知である。

多くの人々は神のみ旨に反して働いており、織物を駄目にする。

主はすべての人が神の指導に服することを望まれる。

主は、神のみかたちに似たものとなって、
キリストと一つにさせてもらうために、屈服する場所に、
人々を置くであろう。

自我がキリストに服し、
あなたが神と協力し、一致して祈り、一致して働き、
すべての命の織物の糸としてあなたの場所に取り入れると、
あなたは神の宇宙を喜ばせる美しい織物へと成長していくであろう。


Letter 63. 1898年





 

2012年12月11日火曜日

祈りつづけているのに


祈りつづけているのに、
その願いが叶えられない人には
「切なく辛い思い」をすることが
〝必要〟なのでしょう。

それが必要だったと理解できるのは、
まだまだ先のことになると思います。

信仰というのは、
その間の〝闇の時間〟を、
光の存在を信じながら生きることと
いってもよいかも知れません。


*愛することは許されること



2012年12月10日月曜日

考えるということこそ


考えるということこそ
人間の尊厳の自由であり、
考えた末、
選ぶことに
人間の自由の本質がある。


*信じる「愛」を持っていますか



2012年12月9日日曜日

苦しみというものは





苦しみというものは、
通っているときは
すごく辛いけれども、
いつか必ず
トンネルみたいに
明るい時がきます。

入る前の明るさと
違った明るさ、
暗さを通った明るさが
そこにはあって、
苦しみは
自分の業績となり、
歴史となって、
人生の履歴書に
書かれていくわけです。


*人間としてどう生きるか




2012年12月7日金曜日

2012年12月6日木曜日

祈りによって近づく


「神に近づきなさい。
そうすれば、
神はあなたに近づいて下さるであろう」。

祈りと瞑想と神の言葉を学ぶことによって、
神に近づきなさい。

神があなたに近づかれる時、
彼はあなたのために、
敵に対して、
軍旗を高く掲げられるであろう。

勇気を持とう。

なぜなら、
敵はこの軍旗に打ち勝つことができないからである。


Manuscript 92. 1901年


2012年12月5日水曜日

増し加わる信仰


あなたは信仰について語り、
信仰に生き、
信仰の行いをしなければならない。

そうすれば、
あなたの信仰は増し加わり、
このように
その生きた信仰を働かせることで、
あなたはキリスト・イエスにある
強い男女に成長するのである。


Manuscript 1. 1889年





2012年12月4日火曜日

この地上にあなたしかいないかのように





あなたの欠乏、
喜び、悲しみ、心配、恐れを、
神のみ前に留めておきなさい。

・・・・主は
「いかに慈愛とあわれみに
富んだ方であるか」。

その愛の心は
我々の悲しみを察知なさり、
その事を口に出しただけでも、
同情を示されるのである。

・・・我々の平和に関わることで、
小さすぎて主がお気付きにならないものはない。

我々のどんなに暗い経験も、
暗すぎてお読みになれないということはない。

またどんな難問題でも
神には解釈できないということはない。

神の子らのいと小さき者にふりかかる災いも、
心を悩ます不安も喜びの声も、
くちびるからほとばしる真剣な祈りも、
天の父はことごとく注意し、
深い関心を払いたもうのである。

「主は心の打ち砕かれた者をいやし、その傷を包まれる」。

神と各々の魂との関係は、
神が愛するみ子をお与えになった魂が他にいないかのように、
明確で十分なものである。


Temperance 104


2012年12月3日月曜日

時々立ち止まって





時々立ち止まって、
他の命を奪って生きている自分は、
ほんとうにそれでいいのかと
考えなければいけない。

他のものの命を、
ありがとうと言って
いただいているだろうか。

そして、
そのような犠牲の上に立って
保持している生命を
もっとほんとうに人間らしく、
神の似姿らしく生きなくていいのかと。


*人間としてどう生きるか




2012年12月2日日曜日

人を許したり





人を許したり、
情けをかけたりなさる時に、
人格としての厳しさを忘れないで、
許しがその人の成長につながる
許しであるように、
その人への同情が
単なる情緒的な同情でなくて、
その人の中にある
すばらしい力に結びついて、
成長を促すような
同情であるようにしてくださったらと
思います。


*人間としてどう生きるか