我々は、
自分の権利を守るために重要でない過失を
とがめたりしないという点で、
人の模範となるべきである。
偽りの噂が我々の周りに流布されることは
予期することができる。
しかし、
もし我々がまっすぐな道をたどり、
それらのことに無関心を保つなら、
他の人々もまた関心を持たなくなるであろう。
自分の評判を心配することについては、
神にお任せしよう。
そのようにして、
神の息子娘として、
我々には自制心があることを示すのである。
神の霊に導かれていること、
そして怒るに遅いことを示すのである。
中傷は、
我々の生き方によって
年月を経るうちに忘れられることがある。
それは弁解の言葉や憤りで静めることはできない。
神を畏れて行動することに大いに気を遣おう。
そして、
行動によってそれらのうわさは間違いであることを示そう。
我々の品性を最も傷つけることができるのは、
我々自身である。
絶えず支柱などで支えられなくてはならないのは、
弱った樹木やぐらつきのある家である。
外部からの攻撃に対し自分の評判を守るために、
非常に思い悩んでいるのを見せると、
それは、
神の前に何か非難されるべきところがあるために、
いつも正当化しようとしているのだという印象を
人々に与えることになる。
Manuscript 24. 1887年
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