2012年11月30日金曜日

被災地にクリスマスプレゼントを送る季節


いよいよ師走も近づきました。

お知らせですが、
被災地支援チーム「いぐべJAPAN」に協力して
被災地へのクリスマスプレゼントを
西日本女性会では呼びかけています。

個人でもグループでもご参加していただけます。

おうちにあるもの、
子どもさん用のもの、
また
ホッカイロ等も良いと思います。

何か送りたいとの思いがある方はご連絡ください。

南三陸町の送り先をご案内させていただきます。

連絡先電話番号 084-947-4958 坪井まゆみ


今年は新しくアメリカ ミシガンからも参加してくださいます。

新しいつながりも生まれています。

思いは初めは小さいですが、
大きな川になればとの思いで頑張っています。

 


四番目の質問


2012年11月29日木曜日

敵の槍を防ぐ盾


自己がイエスの中に隠れる時、
我々は敵の投げる槍から守られる。


Letter 16a. 1895年



2012年11月28日水曜日

待つこと、耐えること・・






待つこと、
耐えること、
他人と譲り合って
生きて行くこと、
これは
世の中がどれほど
便利になっても、
人間が生きて行く上で
どうしても必要なしつけ、
基本的生活習慣である。

なぜなら、
神ならぬ不完全な
人間の社会において、
このようなことが
できることこそは
「人間の証明」
なのだから。


*心に愛がなければ




2012年11月27日火曜日

改革を伴う真の悔い改め






改革を伴わない
悔い改めは、
真正なものではない。

キリストの義は、
告白されてもいなければ
捨てられてもいない罪を
おおう外衣ではない。

それは品性を一変し、
行為を規制する生活原則である。

清潔とは
神のために完全になることである。

それは内住する天の原則に対して
心と生活を全く屈服させることである。


各時代の希望 中 377p






2012年11月26日月曜日

神は隠れた祈りの場所にいる私たちをごらんになる


ナタナエルのように、
われわれは神のみことばを自分で研究し、
聖霊の光を求めて祈る必要がある。

いちじくの木の下のナタナエルを
ごらんになったお方は、
かくれた祈りの場所にいる
われわれをごらんになる。

光の国の天使たちは、
へりくだって
天の導きを求める者の近くにいる。


(『各時代の希望』上巻161p)

祈り 298p



2012年11月25日日曜日

同じことが二度と





同じことが二度と
起こらない人生です。

同じようなことは、
何度か起きるかも知れません。

しかしながら、
まったく同じことは
二度と起きません。

そのことに
淋しさを感じる時も
あるけれども、
そのことに
慰められる時も
たくさんあると思います。


*人間としてどう生きるか





2012年11月23日金曜日

2012年11月22日木曜日

洗いざらいすべてを






洗いざらいすべてを
ぶちまけること
イコール親密度の
度合いではない。

むしろ、
理解し尽くせない
部分を残している、
そういう相手を信頼し、
尊敬を持っていること、
そして、
その淋しさに
耐えていくこと、
それが大人の愛であり、
長続きする愛ではないか。


*人間としてどう生きるか






2012年11月21日水曜日

祈りと活動は車の両輪





思考と行為、
静かな黙祷と活発な働きのように、
私たちの生活は
対極の両面を持っています。

どちらか一方ではなく、
両方を私たちは
生きなければなりません。

・・・・・・・・

力と支えを求めて日々、
熱心に神に祈りをささげる人は、
高邁な理想、
義務と真理についての明確な認識、
行為の高潔な目的、
そして義に対する飢えと渇きを
与えられるでしょう。

(『教会への証』 第四巻459、460p)

祈り 296p





2012年11月20日火曜日

個性の破壊ではない


キリストは天父と一つであられるが、
キリストと神は別個の存在であられる。

ヨハネによる福音書17章における
キリストの祈りを読むならば、
この点がはっきり述べられているのを
見出すであろう。

彼が天父と一つであられるように、
弟子たちも彼と一つになるようにと、
救い主はどれほど熱心に祈られたことだろう。

しかし、
キリストとその追従者の間に存在する一致は、
どちらの個性をも破壊しない。

キリストと天父が一つであるように、
彼らはキリストと一つになるべきである。


Review and  Herald 1905年 6月 1日



2012年11月19日月曜日

ながめることによって


ながめることによって変化するのは
人間の精神の法則である。

人間は真理、純潔、聖潔に関して、
自分が持っている観念以上に
到達するものではない。

もし精神が人間的水準以上に高められず、
無限の知恵と愛を瞑想するために
信仰によって高尚にされないならば、
人間は低い方へ低い方へと
沈んでいくのである。


人類のあけぼの 89p



2012年11月18日日曜日

才能の本源


陰ひなたのない勤勉さを養い、
自分の能力を進んで仕事に注ぐような青年たちを
活用しなければなりません。

このような青年たちはどこへ行っても働き場所があります。

なぜなら彼らは中途でぐらつくようなことがなく、
その心と魂に神のみ像を宿しているからです。

彼らはわき目もふらず、
勝利を叫びながらたえず上へ向かって前進します。

しかし、
なまけ者や臆病者や信じない者は、
神の働きの前進をはばんでしまうからです。

神は、
神と共に働く者を召しておられます。

キリストにつながるとき、
人の性質は純粋になり真実になります。

キリストは能率を補ってくださいます。

こうして人は善にとって一つの力となります。

真実と正直は神の属性で、
この性質を所有する者は何ものにも
負かされることのない力を持っています。


青年への使命 21、22p



2012年11月16日金曜日

2012年11月15日木曜日

ヨブの神は我らの神





「主はつむじ風の中から
ヨブに答えられた」
(ヨブ38:1)

そしてそのしもべに、
神の力の勢いを
あらわされた。

ヨブは創造主のお姿を
拝見したときに、
自分自身を忌み嫌って、
ちり灰の中で悔い改めた。

その時に主は、
彼に豊かな祝福を与え、
彼の最後の年月を、
彼の生涯の最良のものとすることが
おできになったのである。

希望と勇気は、
神に完全な奉仕をするために、ぜひ必要なものである。

これらは信仰の実である。

落胆は罪深いことであり、不合理なことである。

神はご自分のしもべたちが試練に遭ったときに必要な力を、
豊かに彼らに与えることがおできになる。

そしてそうしようと望んでおられるのである。

神の働きに対する敵の策略は、
よく計画され確立しているように見えるであろう。

しかし神は、これらの計画の最も強力なものでも、
覆すことがおできである。

そして神はしもべたちの信仰が十分に
試されたことをごらんになるとき、
神ご自身の時と方法においてこれをなされるのである。


国と指導者 上 133p







2012年11月14日水曜日

今という瞬間は


今という瞬間は、
今を先だつ私の歴史の集大成であると同時に、
今をどう生きるかが次の自分を決定するということです。

人生は点のつながりとしての一つの線であって、
遊離した今というものはなく、
過去とのつながり、
そして未来とつながっているわけです。


*人間としてどう生きるか





2012年11月13日火曜日

働きの前にはまず密室の祈りを


まず、
密室でよく祈ってから、
人々のために個人的努力を
はじめなければならない。

というのは、
救霊の科学を理解するためには、
大きな知恵が必要だからである。

人に語る前に、
キリストと交わりなさい。

天の恵みの座において、
人々に奉仕をする準備をしなさい。


(『キリストの実物教訓』128p)

祈り 295p



2012年11月12日月曜日

我々は自分の権利を守るために


我々は、
自分の権利を守るために重要でない過失を
とがめたりしないという点で、
人の模範となるべきである。

偽りの噂が我々の周りに流布されることは
予期することができる。

しかし、
もし我々がまっすぐな道をたどり、
それらのことに無関心を保つなら、
他の人々もまた関心を持たなくなるであろう。

自分の評判を心配することについては、
神にお任せしよう。

そのようにして、
神の息子娘として、
我々には自制心があることを示すのである。

神の霊に導かれていること、
そして怒るに遅いことを示すのである。

中傷は、
我々の生き方によって
年月を経るうちに忘れられることがある。

それは弁解の言葉や憤りで静めることはできない。

神を畏れて行動することに大いに気を遣おう。

そして、
行動によってそれらのうわさは間違いであることを示そう。

我々の品性を最も傷つけることができるのは、
我々自身である。

絶えず支柱などで支えられなくてはならないのは、
弱った樹木やぐらつきのある家である。

外部からの攻撃に対し自分の評判を守るために、
非常に思い悩んでいるのを見せると、
それは、
神の前に何か非難されるべきところがあるために、
いつも正当化しようとしているのだという印象を
人々に与えることになる。


Manuscript 24. 1887年


2012年11月11日日曜日

意味的存在としての


意味的存在としての人間にとって、
お金よりも、
財産よりも、
名誉よりも、
していることに意味があるかどうか、
意味が見い出せるかどうかが、
もっと重要なのです。


*人間としてどう生きるか



2012年11月9日金曜日

2012年11月8日木曜日

人々が心から求めている社会は


人々が心から求めている社会は、
何人かの得意気な人間がのし歩くかげで、
何十人、何百人がみじめな思いで
生きてゆかなければならない世の中ではなくて、
一人ひとりが、
誇り高く生きてゆけるものでなければならないのだ。

*愛をつかむ





2012年11月7日水曜日

光の通路との接続






我々が
恵みに成長することは、
どのようにして
可能となるのだろうか。

神の規範に従って
型どられるために、
自己を空しくし、
それを天に差し出す時にのみ、
我々には可能性がある。

我々は生きている光の通路と
接続することができる。

我々は天の露で活気づけられ、
我々の上に天の雨を注いでもらうことができる。

我々が神の祝福を感謝する時、
我々は更に多くの神の恵みを受けることができるであろう。

肉眼で見ることのできない神を
継続的に信仰によって見ることを学ぶにつれて、
我々はキリストのみかたちに変えられていくであろう。

キリストの恵みは我々を誇らせたり、
自己を高ぶらせたりせず、
我々を柔和で謙遜な者とするであろう。


Signs of the Times 1893年 1月 16日




2012年11月6日火曜日

密室の祈りで自己を知る





密室での祈りほど、
自己について、
かくもはっきりした
認識を私たちに
与えてくれるものは
ありません。

ひそやかなることを
見ておられ、
すべてをご存知の神は
私たちの知力と理解を
啓発してくださり、
また祈りに答えて
くださいます。

そのとき、
決して見過してはならない
明確で基本的な義務が
私たちの目の前に
示されることでしょう。


(『教会への証』 第五巻163p)

祈り 292p




2012年11月5日月曜日

前向きの気持ちこそが


前向きの気持ちこそが、
私たちの一生の間に遭遇する
すべての人、
すべての事柄との出会いを、
マイナスのものとせず、
プラスのものに変えてゆくのでしょう。


*すてきな出会い







無事に終わりました「耳かきの会」


主のお恵みのうちに終わりました。
感謝です。

いろいろな都合で参加できなかった方、
聞きたかった・・(´д`)・・方々、
「SS」までメールでご連絡ください。

河原先生のご了承を得ていますので、
DVDまたはWeb上で
聞く(見る)ことができるでしょう。





2012年11月4日日曜日

毎日というものを






毎日というものを
ただ年をとっただけで
過ごしたのでは
あまりにも
悲しいと思います。

年をとるとともに、
なにかが
身についてきている。

そして、
それがいわゆる垢で
あってほしくない。

人生の経験というものを
栄養にしたいと思います。


*人間としてどう生きるか



2012年11月2日金曜日

2012年11月1日木曜日

一度祈りを怠れば・・・・・・


ひとり静かに神に祈ることと、
みことばを学ぶこととを怠っていないか
否かに気をつけましょう。

これこそ私たちが天国へ進むのを
妨げようと努力している
サタンに対する武器です。

祈りと聖書研究を一度怠れば、
次に怠ることは
いっそう容易になります。

聖霊の訴えに一度さからえば、
次にまた逆らう道が開けます。

こうして心はかたくなになり、
良心は無感覚になります。

(『青年への使命』 88、89p)

祈り 288-289p