2010年10月21日木曜日

神ははかりを持っておられる


神がお認めになるのは、
うまい話し手や鋭い知性ではない。

熱心な目的、
深い敬虔、
真理への愛、
神への恐れが効果ある影響を及ぼすのである。

たとえどもりがちな言葉によるものでも、
信仰に満ち、
心を低くして信頼し、
邪気のない唇から出る心からの証は、
金のように尊いものとして神に認められる。

一方、
大きな才能を与えられているが、
真実さや堅固な目的、
清さや無我の精神に欠けている人々の洗練された演説、
なめらかな弁舌は、
騒がしい鐘やにょう鉢と同じだと見なされる。

彼は機知あることを言うかもしれないし、
楽しませる逸話を物語るかもしれない。

彼は感情をそそるかもしれないが、
イエスの精神はその中にないのである。

これらの事はすべて、
清められていない心を喜ばすかもしれないが、
神は手にはかりを持っておられ、
言葉と、精神と、誠実さと、献身とを量られる。

そしてすべては無よりも軽いと宣言される。

                       Letter 38.  1890年

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