神は真理という偉大な道具で、
まだ磨かれていない石のような
ご自分の民を世の石切場から
運び出される。
それらの石はまっすぐに平らにされ、
磨かれねばならない。
ざらざらした角は
取り除かれねばならない。
これは苦痛を伴う工程であるが、
必要なものであり、それをなくしては、
我々は神の宮に場所を得る準備をすることはできない。
神は、試練によって、警告によって、訓戒によって、
神の目的を満たすように我々を整えようとされる。
もし神と協力すれば、
我々の品性は「宮の建物のために」形作られるであろう。
我々を改変させるのは慰め主の働きであることが、
明白に記されている。
清め、洗練する工程に身をゆだねるのは、時には難しい。
しかし、もし最後に救われようとするのであれば、
我々はそれをしなければならない。
Letter 139. 1903年
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