2010年6月30日水曜日

西日本女性会ニュース 第9号

画像上をクリックし、大きく開いてお読みください。












2010年6月29日火曜日

やさしい人となることができる


ありのままの自分を
愛することができるようになった人は、
いつでも他人が歩み入ってもかまわない
開かれた部屋となり、
そこで他人をあたたかくもてなすことのできる、
すなおな、
やさしい人となることができるのだ。


*信じる「愛」を持っていますか

2010年6月28日月曜日

キリストの恵みに満たされる

まず、
密室でよく祈ってから、
人びとのために個人的努力を
始めなければならない。

というのは、
救霊の科学を理解するためには、
大きな知恵が必要だからである。

人に語る前に、
キリストと交わりなさい。

天の恵みの座において、
人びとに奉仕をする準備をしなさい。


キリストの実物教訓 128

2010年6月27日日曜日

必要なのは心の静けさ

今や、
変えられるものを変える自由が与えられている。

必要なのは勇気である。

また、
変えられないと判断した時には、
主体的にその事実を受け入れる自由も与えられている。

必要なのは、
心の静けさである。


*愛をこめて生きる


2010年6月26日土曜日

第3期 第1課 パウロとローマ

画像上をクリックし、大きく開いてお読みください。


2010年6月25日金曜日

ピグマリオン効果

画像上をクリックし、大きく開いてお読みください。


2010年6月24日木曜日

乗り越えられる


文字に
表わすことのできない苦しみの
一つひとつは、
乗り越えられることによって、
その人の
かけがえない要素となるのです。


*信じる「愛」を持っていますか

2010年6月23日水曜日

反対から考えて見ると・・


物事は反対から考えてみると
納得できることがあるものだ。

何か「損した」と思うようなことを、
それではもし自分がしなかったとしたら
何を「得したのか」と
考えてみることである。


*愛を込めて生きる

2010年6月22日火曜日

悪い言葉を出さない


我々は、
口から悪い言葉を出さないように
勧告されている。

しかし
悪い言葉というのは、
ただ単に卑しく俗悪なものばかりではない。

それは、
思いからキリストの見方を失わせるもの、
魂から真の同情と愛を除く
すべての言葉である。

それは、
キリストの愛が表現されておらず、
キリストらしくない品性の感情を表す言葉である。


Letter 48. 1895年

2010年6月21日月曜日

人の手段の限界


人間の
有限な能力の及ぶ限り
理性を用いることは、
すべての者にとって
義務であり特権でもある。

しかし、
人間の力の及ばない
限界がある。

最も鋭い頭脳による洞察、
あるいは最強の知性によっても、
決して理論的に考え出すことの
できない多くのことがある。

・・・・・

人は今、
途方もない広がりの境界線上でうろうろしている。

だから想像力を働かせることしかできない。

有限な人間は、
神の深い事柄を推し量ることができない。

霊の事は霊によって識別されるからである。

人間の頭脳は神の知恵と力を理解することができない。


         Review and Herald 1896年 12月 29日

2010年6月20日日曜日

信仰の単純さと力

ウガンダ・ブウィンディ原生国立公園
(世界の約半分のマウンテンゴリラがいるそうです)
本日の Bong トップページ~


信仰は、
その働きにおいて単純であり、
その結果において力強い。

多くの自称クリスチャンが、
自分は聖なるみ言葉についての
知識があり、
その真理を信じていると言うが、
彼らは
イエスの宗教に欠くことのできない
子供のような信頼を抱くことに失敗する。

彼らは、
魂に癒しという効力をもたらす
特別の接触をしていない。


Redemption: The Miracles of Christ. 97p

2010年6月19日土曜日

第2期 第13課 社会的な支えー結びつける絆

画像上をクリックし、大きく開いてお読みください。

2010年6月18日金曜日

時間を取る

画像上をクリックし、大きく開いてお読みください。

2010年6月17日木曜日

パウロの完全な献身

・・・まるで月面のような風景・・・
アイスランド ランドマンナロイガル
(本日の Bing トップページ~)


「働かざる者、食うべからず」
という言葉は、
地上一般の事柄と同様に霊的、
宗教的生活にも当てはまる。

パウロは日常の働きにおいて、
自分を軽視することも
自分の品位を低めることも、
不満足になることもなく、
身体的重荷に耐えただけではなく、
同時に知性の働きを向上させ、
霊的知識に到達する働きの
重荷を負った。

彼は教え、
教えた教訓を実行した。

彼は神が与えて下さった幻を
繰り返し思い出して、
与えられた光から、
すべての人は
強い頭脳と筋肉と腱を持つ
働き人にならなければならない
ということを理解した。

このキリストの忠実な弟子、
イエス・キリストの使徒は、
神の奉仕のために
無条件で献身した。


Letter 2. 1889年

2010年6月16日水曜日

清められた舌が必要


他人の欠点を
くよくよ考えることを
やめなさい。

舌を
神に聖別された状態に
保ちなさい。

他の人の影響力を損なうかもしれない
いかなる発言をも差し控えなさい。

なぜなら、
これらの批判を言いたい放題述べることによって、
神の名をののしるのと同様に、
神の聖なる名を冒涜することになるからである。・・・

我々は特に、
サタンに舌をささげることに対して警戒する必要がある。

神がお与えになった舌は、
言葉で神を讃えるのに用いられるべきである。

そうしないなら、
この世において我々は
神の働きを直接妨害していることになり、
天の裁きが確実に我々の上に下るであろう。


                  Manuscript 95. 1906年


2010年6月15日火曜日

中立は不可能

(アメリカ・テキサスの稲妻 本日のBing トップページ写真)


[マタイ12:43-45を引用]

キリストの奉仕において
中立というものはあり得ないことを、
キリストは示しておられる。

魂は思考、声、精神と心身の全的献身が
わずかに欠けても満足していてはならない。

器が空にされるだけでは十分でなく、
キリストの恵みで
満たされなければならない。

Manuscript 78.1899年

2010年6月14日月曜日

整えられ燃えている明かり

(イギリスのダートムーア 本日のBing トップページ~)


我々が携えることのできる最高の信任状は、
互いに愛し合うことである。

すべての争い、
意見の衝突は止めねばならない。

もし魂の内のあかりが整えられ、
燃えていなければ、
神は最も賢く雄弁な人の才能を
お受け入れにならないであろう。

聖別された心と、
聖別された魂の屈服がなければならない。


Letter 119. 1899年


2010年6月13日日曜日

適度な距離


ぶつかりやすい相手との間には、
ある程度、
距離を置くのも一策である。

車でも車間距離を取るように、
適度な人間(じんかん)距離が、
ぶつかりあいを防いでくれる時がある。

それを
〝賢さ〟というのかも知れない。


*目には見えないけれど大切なもの

2010年6月12日土曜日

第2期 第12課 聖書の栄養学

画像上をクリックし、大きく開いてお読みください。

2010年6月11日金曜日

ユーモアの効用

画像上をクリックし、大きく開いてお読みください。


2010年6月10日木曜日

どのようにくびきを負うか



神の腕を
つかんで言いなさい、
「私は何でもありません。

あなたはすべてです。

あなたは言われました、
『わたしなしでは、
あなたは何もできない』と。

では、
主よ、
私があなたの内に宿るために、
私の内にお宿り下さい」と。

それから、
イエス・キリストに宿り、
信仰によって一歩一歩前進しなさい。

これが彼のくびき、服従のくびきを負うことである。

               Manuscript 85. 1901年

2010年6月9日水曜日

裁くことは人の権利ではない


コリント人への第二の手紙11章は
多くの教えを含んでいる。

人間的な観点から物事を見がちな人は、
神が定めておられない禁じられた仕事に
とりかかると悲惨な過ちを犯す危険性が
あるということを我々に示している。

その仕事とは、
批判すること、裁きの座に登ること、
罪の宣告をすることである。

そのような者の霊的前進のためには、
あら探し、邪推、悪口、
偽りの誓いをすること、憎しみ、
兄弟を告発するという梁を取り除くために、
自分自身の心を警戒し吟味して、
自分の品性の欠点や欠陥をよく見るほうが、
どんなにか良いことだろう。


Manuscript 142. 1897年

2010年6月8日火曜日

他人の幸せを願う


どんなに忙しい生活であっても
他人の幸せを願うことはできるはずです。

思いやることもできるはずです。

というか、むしろ、
自分の忙しさをこえ、
自分の苦しみにもかかわらず他人を思いやり、
慰め、
その幸せを願うところにこそ愛があるのでしょう。


*美しい人に


2010年6月7日月曜日

だれにゆだねるか

オーストラリアのウィットサンデー島 
(本日のBingトップページ写真~)


サタンは、
我々が彼にそれを委ねない限り、
精神や知性に触れることはできない。

Manuscript 17. 1893年


悪霊は、
もしあなたが自分の知力を彼に与えれば、
それを用いるであろう。

Manuscript 2. 1893年

2010年6月6日日曜日

サタンの小さなくさび

サン・ニコロの塔 イタリア フィレンツェ 本日のBingトップページ~


自分は
神の愛のうちにいるかどうかを
日毎に吟味するために、
また
光の通路に自分を置いて、
自分の魂に注意を払う時間を
持たない人々は、
サタンの指示に耳を傾け、
彼の計画を実施するための時間を
持つことになるのである。

サタンは、
小さなくさびによって作られたさけ目を
そのくさびで広げることによって、
巧みに入り込んでくる。

サタンのもっともらしい考案が、
この時代の神の特別な働きの中に
持ち込まれるであろう。


Manuscript 16. 1890年

2010年6月5日土曜日

第2期 第11課 楽観主義ー幸福といやし

画像上をクリックし、大きく開いてお読みください。

2010年6月4日金曜日

声を聴く

画像上をクリックし大きく開いてお読みください。

ふるいの器




世は、
教会をふるい、
その信徒が本物かどうかを
試す器である。

世は、
誘惑を差し出し、
それが受け入れられたなら、
信者の生活を
その告白と調和しない状態に
置くのである。・・・

あなたが天に向かって進む時、
世はあなたに反対して激しい摩擦を起こすであろう。

あなたは一足ごとに、
サタンとその悪天使、
また神の律法を犯すすべての人たちに
反対して道を進めなくてはならないであろう。

地上の権威者たちが邪魔するであろう。

あなたは悩み、
心を傷つけられるようなこと、
きつい言葉、嘲笑、迫害に会うだろう。

人々は、
神への不忠となるような法律や習慣を
あなたが守るように要求するであろう。

ここで、
神の民は命に至る道の十字架を見つけるであろう。


                  Manuscript 3. 1885年

2010年6月3日木曜日

心がゆさぶられる


新しいものを見なければ
心が動かないような人じゃなくて、
なんでもないものにも
心がゆさぶられる人でいてください。


*人間としてどう生きるか


2010年6月2日水曜日

苦痛だが必要な工程



神は真理という偉大な道具で、
まだ磨かれていない石のような
ご自分の民を世の石切場から
運び出される。

それらの石はまっすぐに平らにされ、
磨かれねばならない。

ざらざらした角は
取り除かれねばならない。

これは苦痛を伴う工程であるが、
必要なものであり、それをなくしては、
我々は神の宮に場所を得る準備をすることはできない。

神は、試練によって、警告によって、訓戒によって、
神の目的を満たすように我々を整えようとされる。

もし神と協力すれば、
我々の品性は「宮の建物のために」形作られるであろう。

我々を改変させるのは慰め主の働きであることが、
明白に記されている。

清め、洗練する工程に身をゆだねるのは、時には難しい。

しかし、もし最後に救われようとするのであれば、
我々はそれをしなければならない。

                       Letter 139. 1903年

2010年6月1日火曜日

我々を傷つける者のために祈れ


キリストが
光の中におられるように、
光の中を歩こうと努めようではないか。

神が
ヨブの束縛を解かれたのは、
ヨブが、
彼自身のためばかりでなく、
敵対していた者たちのために
祈ったときであった。

祈ろう。

我々自身のためだけでなく、
我々を傷つけ、
傷つけ続けている者のために。

祈りなさい、祈りなさい。

特に心の中で神に絶えず祈りなさい。

神はご自身の前に謙虚な者の
心からの熱心な祈りに
耳を傾けてくださる。

           Letter 88. 1906年