われわれは日ごとの生活において
負わなければならない義務が
与えられている。
毎日われわれの言行は、
交わる人々に印象を与えている。
われわれの唇に門番をおき、
われわれの歩みを注意深く見守ることが
何と必要なことであろう。
一つの軽率な行為、
一つの分別を欠いた歩み、
また何か強い誘惑の波が押し寄せて、
人を堕落の道に流してしまうのである。
われわれは人々の心の中に植えつけた思いを、
拾い集めることはできない。
もしそれが悪いものであれば、
われわれは一連の出来事、
悪の潮流を始動させたのであって、
それを止める力はわれわれにはないのである。
他方もしわれわれが自分たちの模範によって、
正しい原則を発達させるように他の人々を助けたとするならば、
われわれは彼らに善を行う力を与えるのである。
今度は彼らが同様の有益な感化を、
他の人々に及ぼすのである。
こうして幾百幾千という人々が、
われわれの無意識の感化によって助けられるのである。
キリストの真の弟子は接触するすべての人の、
善を行おうとする精神を強める。
神を信ぜず罪を愛する世界の前で、
彼は神の恵みの力と神の品性の完全さをあらわすのである。
国と指導者 上 312-313
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