2015年3月31日火曜日
キリストの愛は・・・
キリストの愛は、
どんなところにでもゆきわたって行くほど、
広く深く満ちあふれたものである。
それはサタンのまどわしにおちいっていた
あわれな魂を
サタンの勢力の下から引き上げて、
神のみ座、すなわち
約束のにじにかこまれたみ座のそばに、
こさせるのである。
キリストの実物教訓 363p
2015年3月30日月曜日
われわれは・・
われわれは、
たえず与えるときに、たえず受ける。
そして多く与えれば与えるほど
ますます多く受ける。
こうしてわれわれは、
たえず信じ、頼り、受け、与えることが
できるのである。
各時代の希望 中 113p
2015年3月29日日曜日
キリストは天父から・・・
キリストは天父からお受けになった。
彼は弟子たちにお与えになった。
弟子たちは群衆に与え、
人々は互いに与え合った。
同じように、
キリストにつながっている者はみな、
キリストから天の食物である
いのちのパンを受け、
それを他人に与えるのである。
各時代の希望 中 111p
2015年3月28日土曜日
2015年3月27日金曜日
イエスも歌を持って・・・・
イエスは、
地上生活において、
歌をもって試練に応じられた。
心をさすような鋭い言葉を浴びせられたときにも、
いんうつと不満と疑惑と圧迫的な恐怖のために、
まわりの空気が重苦しかったときにも、
イエスの信仰と聖なるはげましの歌が聴かれた。
教育 194p
2015年3月26日木曜日
力と知恵を求める
主に助けを願うとき、
その祝福を必ず受けると信じて
救い主をあがめなさい。
そのとき、
あらゆる力、知恵はわたしたちの
求めに応じて自由に与えられるのである。
わたしたちはただ求めればよい。
ミニストリー・オブ・ヒーリング 500p
2015年3月25日水曜日
神の言葉を理解できるよう求める
祈りを怠っては、
一日、一時間たりとも安全ではない。
特にわれわれは神のみ言葉を理解する
知恵を祈り求めなければならない。
聖書の中に、
サタンの策略が示されている。
またそれに対抗する手段も教えられている。
サタンは巧みに聖書を引用し、
彼自身の解釈をほどこして、
われわれをつまずかせようとする。
われわれは、謙遜な態度で聖書を学び、
どんな場合にも神に依存していることを忘れてはならない。
こうして常にサタンの策略に注意する一方、
たえず、「わたしたちを試みに会わせないで、・・・・・ください」と
信仰をもって祈らなければならない。
各時代の大争闘 下 276p
2015年3月23日月曜日
私たちは神の憐れみを・・
私たちは
神の憐れみを受ける資格はないが、
自分を神にささげる時、
神は受け入れてくださる。
そして
神に従う者のために働き、また、
その人々を通して働かれるのである。
ミニストリー・オブ・ヒーリング2005 216p
2015年3月21日土曜日
2015年3月20日金曜日
魂の呼吸
祈りは魂の呼吸である。
それはまた、
霊的力の秘訣である。
他のいかなる恵みの手段も
それに取って代わることはできない。
魂の健康が祈りによって保たれる。
そして祈りによって
命の泉に直接交わることができ、
信仰経験の筋肉と腱が強められる。
祈りを怠ったり、
ときどき都合の良いときにしか祈らないならば、
あなたは神とのつながりを失う。
福音宣教者 254、255p (英文)
2015年3月19日木曜日
すべての被造物は・・
すべての被造物は
神のご意志とみ力によって生きている。
彼らは神のみ子の命の容器である。
どんなに能力があって
才能に恵まれていても、
どんなに大きな素質を持っていても、
彼らはすべての命の源であるお方から
命を与えられている。
・・・・・
我々の世界の全人類は
彼から命を授かっている。
彼は命の泉であり根源である。
Manuscript 131. 1897年
2015年3月18日水曜日
キリストは仕える者たちに・・
キリストは仕える者たちに、
すべての職務の遂行に
ご自身のご性質である
憐みと愛の親切心を持ち込むように、
そして彼らが交わるすべての人に、
天来の愛と優しい同情心を
反映させることにおいて
幸福と満足を見出すよう命じられる。
Review and Herald 1908年 3月 19日
2015年3月17日火曜日
2015年3月16日月曜日
如何に新しい心を保つか
神の言葉に記されている
最も熱心な祈りの一つは、
「神よ、わたしのために清い心を
つくってください」と
嘆願したダビデの祈りである。
このような祈りに対する神の応答は、
「わたしはあなたに新しい心を与えよう」である。
これは、有限な人間には成し得ない働きである。
男女ともに真のクリスチャン経験をするためには、
まず、最も熱心に神を求めることから始めるべきである。
彼らは聖霊の創造の力を感じるはずである。
彼らは天の恵みによる、
柔和と優しさを持続させる新しい心を受けるはずである。
利己的な精神は、
魂から一掃されるはずである。
各自は、導きと励ましを受けるためにイエスを仰ぎ、
熱心に、謙虚な思いをもって働くべきである。
その時、ぴったりと組み合わされたその建物は、
主にある聖なる宮へと成長するであろう。
Letter 224. 1907年
2015年3月15日日曜日
個人的責任
神の政府は
個人的責任という政府であることを、
エゼキエル 書33章は示している。
各自は自分で立たなければならない。
隣人のために従ってあげることは
誰にもできない。
隣人の側に
同じような怠慢が見られるからといって、
自分の義務を怠ることが許される者は
誰もいない。
Letter 162. 1900年
2015年3月14日土曜日
2015年3月13日金曜日
サタンの小さなくさび
自分は神の愛のうちにいるかどうかを
日毎に吟味するために、
また光の通路に自分を置いて、
自分の魂に注意を払う時間を持たない人々は、
サタンの指示に耳を傾け、
彼の計画を実施するための時間を持つことになるのである。
サタンは、
小さなくさびによって作られたさけ目を
そのくさびで広げることによって、
巧みに入り込んでくる。
サタンのもっともらしい考案が、
この時代の神の特別な働きの中に持ち込まれるであろう。
Manuscript 16. 1890年
2015年3月12日木曜日
2015年3月11日水曜日
我々の間で欠乏している美徳
イエスが我々に
買わせたい金は、
火で精錬された金である。
それは信仰と愛という、
混ぜもののない金である。
白い衣は、
キリストだけが与えることのできる
婚礼衣装・・・キリストの義である。
目薬は、
我々の間では非常に乏しい、
真の霊的識別力である。
なぜなら、霊的事柄は霊的に判断
されなければならないからである。
Review and Herald 1890年 4月 1日
2015年3月10日火曜日
2015年3月9日月曜日
光は自分の内にない
イエス・キリストを受け入れる人たちから輝く光は、
自分の内から出たものではない。
それはすべての世の光と
生命の源であるお方から出たものである。
すべての者が神の務めをする事に
用いなければならない火を燃やしていただくように、
彼がこの光を輝かしてくださる。
キリストはすべて信じる者の光、命、聖潔、聖化であり、
キリストの光が、あらゆる良い業となって
分け与えられるのである。
彼の恵みは、実に様々な方法で、地の塩として働き、
家庭であれ地域であれ、
この塩が入り込むところではどこでも、
良いものすべてを救い、
悪いものをすべて滅ぼす力となる。
Review and Herald 1899年 8月 22日
2015年3月8日日曜日
主が来られる
神が近づいてくる足音が聞こえる。
その大いなる日に人々を備えさせるために
自分の役割を果たして、
主の道を備えねばならない。
人間の魂のとがを洗い去るために開かれてきた泉を罪人に示すこと、
それほど優しい哀願はなく、
それほど簡潔な教えはなく、
それほど力強く保護してくれる命令はなく、
それほど完全な約束はない。
「すべての者が仕事をし、それぞれが最善を尽くすように」との言葉が、
神のみ座から与えられている。
Review and Herald 1914年 11月 12日
2015年3月7日土曜日
2015年3月6日金曜日
2015年3月5日木曜日
最上のわざ
この世の最上のわざは何?
楽しい心で年をとり、
働きたいけれども休み、
しゃべりたいけれども黙り、
失望しそうなときに希望し、
従順に、平静に、
おのれの十字架をになう・・・・
若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見ても、ねたまず、
人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり、
弱って、もはや人のために役だたずとも、親切で柔和であること・・・・
老いの重荷は神の賜物
古びた心に、これで最後のみがきをかける。
まことのふるさとへ行くために・・・・
おのれをこの世につなぐくさりを
少しずつはずしていくのは、真にえらい仕事・・・・
こうして何もできなくなれば、それを謙遜に承諾するのだ。
神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。それは祈りだ・・・・
手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。
愛するすべての人の上に、神の恵みを求めるために・・・・
すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声を聞くだろう。
「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と・・・・
ヘルマン・ホイヴェルス
2015年3月4日水曜日
2015年3月3日火曜日
2015年3月2日月曜日
親切という律法に生きなさい
主イエスは我々の唯一の助け手である。
彼の恵みによって、
我々は愛を培うこと、親切にまた優しく語るために
自分を教育することを学ぶ。
彼の恵みによって、我々の冷たく粗野な作法が変貌する。
親切という律法が我々の唇に宿るようになるであろう。
すると、聖霊の尊い感化のもとにある人々は、
泣く者と共に泣き、喜ぶ者と共に喜ぶことが弱い証拠だとは思わなくなる。
我々は天来の品性のすばらしさを培うべきである。
我々は、人に善意を持つべきこと、
他人の生活における陰ではなく日光であろうとする真摯な望みを持つべきこと、
それがどんな意味を持つのかを学ばねばならない。
Review and Herald 1894年 1月 2日
2015年3月1日日曜日
唇に親切の法則を
主は、
自己に勝利し征服するという大仕事において
最も助けが必要なところで、
我々一人びとりを助けてくださる。
親切という法則が唇にあり、
恵みの油が心にあるようにしよう。
これは素晴らしい結果を生じる。
あなたは優しく、同情的で、礼儀正しくなることだろう。
あなたにはこれらの恵みがみな必要である。
聖霊を受け入れ、品性に持ち込むべきである。
するとそれは聖なる火のようになり、
神に向かって昇っていく香を発散させる。
その香は、非難する口からは生じず、
人の魂をいやすものとして発せられるものである。
あなたの表情は神のみかたちを表す。
鋭く、批判的な、そっけない、またはきつい言葉を語るべきではない。
これは異火であり、我々の会議や兄弟との交際から
取り除かれねばならない。
神は、ご自分の奉仕にあたるすべての人々に、
神聖な火の炭火からとって、香炉に火をともすことをお求めになる。
たやすくあなたの唇から出てくる、品のない、きつい、
荒々し言葉は差し控え、神の霊が人を通して語らなけれrばならない。
キリストの品性を眺めることによって、あなたは彼に似た者へと変えられる。
キリストの恵みだけがあなたの心を変えることができる。
そうすればあなたは主イエスのみかたちを反映するのである。
神は我々が彼のように、清く、聖で、汚れのない者となるように招かれる。
我々は神のみかたちを身につけなくてはならない。
Letter 84. 1899年
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