救い主のたとえ話には、
真の「高等教育」がなんであるかが
示されている。
キリストは、科学のどんな深い真理でも、
人に説明することがおできになった。
人類が、
幾世紀もの努力と研究を重ねて、
到達できるような神秘の扉を、
開くこともおできになった。
また、世界の終わりにいたるまでの思想のかてとなり、
発明の刺激となる科学的提言をすることも、
主には可能であった。
しかし、彼はそうはされなかった。
人々の好奇心を満たし、
または世俗的な偉大さへの希望をいだかせて、
野心を満足させるようなことは、
何も言われなかった。
キリストは、何をお教えになっても、
人間の心を、
無限の神の心に接触させるようになさった。
神と、神のみ言葉、
または、神の働きに関して、
人間が述べた理論を学ぶようには、
少しも指導なさらなかった。
彼は、神の創造の働きと神のみ言葉と、
そして、神の摂理の中に示されている神を
ながめるようにとお教えになった。
希望への光 1195p
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