自己のために生きるクリスチャンは、
贖い主のみ名を汚す。
彼らは主の奉仕において
非常に活発なように見えるかもしれないが、
彼らはすべての行いに自己を織り込む。
利己心の種をまいて、
彼らはついに堕落を刈り取らなければならない・・・。
自己に仕えるということには、
様々な形態がある。
これらのあるものは無害に思われる。
外見上の善により、
彼らは本当に善良な人たちのように見える。
しかし、彼らは主に栄光を帰していない。
彼らの仕業により、主の御目的は妨げられる。
キリストは、「わたしの味方でない者は、わたしに反対する者であり、
わたしと共に集めない者は、散らすものである」と言われる。
Manuscript 2. 1903年
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